title: クリスチャン・ボルタンスキー 死者のモニュメント
author: 湯沢英彦

Date: 2004年7月刊
ISBN: 4-89176-519-4
Size: A5判328頁、図版71点(カラー別丁含)
Price: 本体4,500円
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著者について

湯沢英彦
1956年東京都生まれ。東京大学仏文学科卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程中退。85年から89年まで、パリ第四代学博士課程に留学。文学博士号取得。現在、明治学院大学文学部フランス文学科教授。専攻、20世紀フランス文学/文化。著訳書には『プルースト的冒険』(2001年、水声社)、フィリップ・ミシェル=チリエ『事典プルースト博物館』(共訳、2002年、筑摩書房)などがある。




目次

はじめに

第1章 忘却の風景
「死体置場」/幼年期の死/「動作」の再現/遺棄される死体/記憶されざるもの

第2章 遺品のコレクション
粘土工作の時間/「地震計」としてのアート/空白の演出/死者の遺品のすべて
ウォーホルの『タイム・カプセル』/日常の廃墟

第3章 喪うこと、共にいること
「ドクメンタ5」と『資料陳列ケース』/「棄て子」としての作品/美術館と〈歴史〉の創生
真の〈生〉へのノスタルジー/『D家のアルバム』/ミッキーマウス・クラブの子どもたち/中学生の肖像

第4章 懐かしさと可愛らしさ
共通の記憶/偽の自伝/凡庸なものの輝き/コンポジション・シリーズ/影の誘惑

第5章 死者のモニュメント
死者へのオマージュ/希薄化する「死」/電球と電線/美化された死の終わり
単語カードと死体/〈影〉とともに/生きている灰/ミニマリズムとの距離

第6章 死を盗まれた人びとのために
見えないモニュメント/目撃者なき出来事/〈像〉への意志/〈像〉を与える
〈像〉の崩壊/廃墟の反復/哀切さと軽さ/ホロコースト以後

第7章 亡霊のまなざし
『死んだスイス人』/バルト・写真・亡霊/亡霊とともに/千六百枚の写真/親探しの子供たち/遠い谺/空箱と記憶

第八章 記憶の住み処
『欠けた家』/アンチ・モニュメントの文法/贖罪の美学に抗して/『ロスト』シリーズ
名前の書き込み/「記念祭」と「文化遺産」の時代/八〇年代のモニュメント復活
〈写真〉から〈場所〉へ/過疎の村とボルタンスキー/ある秘密の約束


参考文献
ボルタンスキー略年譜
あとがき




はじめに

これから、クリスチャン・ボルタンスキーの作品世界にご案内してゆきたいと思う。
彼は一九四四年にパリで生まれ、現在も精力的に活動を展開している美術家である。日本でも九〇年に名古屋と水戸で大がかりな個展が開催され、またその作品が幾つかの美術館に収蔵されているので、すでにボルタンスキーの名前をご存知の方も多いかもしれない。またそうでない方にも、是非とも彼の活動の軌跡を知っていただければと思う。

「死者のモニュメント」とサブタイトルを付したように、ボルタンスキーの作品の多くは、この世から消えてしまった人々の記憶に捧げられている。そういった傾向はとくに八〇年代半ば以降に顕著になるのだが、実はそれ以前から、彼の作品には奇妙な「遺物」や「遺品」が繰り返し姿を見せている。たとえば、子供時代の玩具を、記憶を頼りに粘土で復元する。どこかの失われた文明の残骸のようなオブジェを、博物館展示用のガラスケースに入れて展示する。あるいは、死んだばかりの人の所持品すべてを陳列する。六〇年代末のデビュー当時から、場を失って漂い、忘れられてゆくものへの関心がボルタンスキーの作品の軸をなしている。そしてその関心は、なにか現代美術シーンにおける知的な戦略に起因するというよりも、むしろ消え去ってゆくものが遺した僅かな痕跡に、まず彼が、どうしようもなく引きずりこまれてしまうところから生れているように感じられる。

ボルタンスキーは写真と古着を偏愛する作家だ。そのどちらもが彼にとって〈死体〉なのだという。そうして床一面に大量の古着を撒き散らし、壁という壁を百枚、千枚という顔写真で覆い尽くし、消え去った人々の影に私たちがもっと鋭敏であるようにと語りかけてくる。現在から未来を展望するかわりに、ボルタンスキーはいつまでもわだかまりつづける過去に場所を与えるのだ。ただし彼は、過ぎ去った時がありありと蘇るとは思っていない。むしろボルタンスキーのさまざまな作品は、過去が消えてしまったこと、その空白の生々しさで私たちの胸を衝く。二〇世紀が立ち会った数々の「大量死」をいかに引き受けるべきかという問いかけを意識しながら、彼は埋めようもない空白を私たちの前に開き、その空白のさなかで、亡霊たちのかすかな声を聞き取るように誘う。

こうしてボルタンスキーの作品のなかには、忘れられた人々が絶えずその姿を現す。しかし姿とはいっても、死者たちが王侯貴族の肖像画のように、鮮明で威厳あるポーズにおさまって登場するわけではもちろんない。それはたとえば、顔の輪郭が崩れかけたようなポートレートであり、大量に積み上げられた空き箱に貼られた名前のラヴェルでしかない。あるいは、あどけない子供の顔写真が粗末なブリキの額縁に収められ、その前を照明用の電源ケーブルが横切って、死んだ子供たちの顔にまがまがしい黒い線が引かれてしまう。ボルタンスキーがつくる死者のためのモニュメントは、いずれも彼らを記憶し、記念することを願いながらも、その企ての困難さを同時に告げるものだ。その困難は、死のための場所を確保することの難しさなのである。ボルタンスキーは、現代において人々が過剰に死を恐れ、死を忌み嫌い、結果として死のための場所が消え去りかかっていると言う。
だから死者のためのモニュメントが必要なのだ。けれども彼の作品は、死者の記憶を永遠にこの世に刻もうとする、また刻みうると信じて創られた伝統的なモニュメントとは、まったく異なった相貌を帯びる。死者の記憶が薄れ、誰が誰とも見分けがつかなくなって、すべてが忘却に沈みこんでゆきそうな、そんな記憶の零度の気配に彼の作品はしばしば近づく。でもそれに抗しながら、私たちにわずかな痕跡を提示するのだ。
(以下つづく)




小社関連書

『プルースト的冒険』湯沢英彦
『八月の日曜日』パトリック・モディアノ 堀江敏幸訳
『人生使用法』ジョルジュ・ペレック 酒詰治男訳
『さまざまな空間』ジョルジュ・ペレック 塩塚秀一郎訳
『狂気と文学的事象』ショシャナ・フェルマン 土田知則訳
『すべて過ぎ去りしこと……』『フルバンあるいは絶滅の記憶』『ヴォリナ』マネス・シュペルバー 鈴木隆雄訳
『歴史の横領』M・ドゥブロヴィッチ 鈴木隆雄訳
『うわずみの赤』イエルーン・ブラウワーズ 林俊訳 ……他