夏の哲学
無明のフィロソフィア《1》

小林康夫|プロフィール

半開きの窓から入ってくる風のなんと気持ちがいい,あまりに暑いので上半身は裸で机に向かっているわたしの身体の皮膚のうえを撫でるように吹きすぎていく夕暮れの風,窓の向こうはちょうど中庭の木々の梢の高さで,マロニエ,プラタナス……青々と生い茂った夏の葉叢が奥の建物をほとんど隠してしまっていて,しかも庭の片隅では,さきほどから,つぐみが一,二羽,木陰のなかで囀っているようなので,自分が都市のまんなかにいることもすっかり忘れてしまって,なんだか避暑地の明るい林間地にでもいるような感覚になる。今日も一日暑かったが,しかし湿度はそれほど高くはなく,白い石の舗道を踏んで歩いて帰ってきて,汗ばんだシャツを脱ぎ捨ててシャワーを浴びると,夕食の時間までぽっかりあいた空白の時間に,少しなにか書きたくなってきて,まるで人気のない夏の公園,砂場の隣あたりにある水道管の蛇口をひねると生温かい水がちょろちょろと流れ出す,そんなふうにだらしなく書き出してみるのは,今日一日,いや,この数日,それどころかもっとずっとずっと以前から心の片隅にわだかまっていた欲求に形を与えてみてもいいかもしれないという思いからで,その願いはただひとつ,この生温かい乏しい水をそれでもしばらくは掌で受けているうちに,突然に,それが鮮烈に,地下の深さを感じさせる冷たい水となってほとばしり,飛び散る,そんなささやかな,子どもじみた歓びの瞬間よ,来い,水よ! 深い水よ,来い! とただそれだけ。いかにも不用意で無防備な願いではある。


だが,その水は,もしほんとうに来れば,湧出,氾濫,そして洪水。だから,かつて少年ランボーが書きとめた,あの「湧き上がれ,池よ!」(Sourds, étang!),あるいは「昇れ,走れ――水よ,悲しみよ,昇れ,持ち上げろ,大洪水をふたたび」(――montez et roulez; ――Eaux et tristesse, montez et relevez les Déluges)(『イリュミナシオン』)というあの激しい願いの残響が,このわたしの小さな夕暮れの部屋にも,遠い雷鳴のように,轟きわたっていないわけではないのだ。わたしは,昔から,この「池」(étang)を,いつもフランス語では音が同じになる「存在者」(étant)と読んできた。そして,その場合,「湧き上がれ!」(sourds)という動詞はいつも同音異義の形容詞「耳の聞こえない」(sourd)として響いていた。耳の聞こえない存在者よ,何も聞いていない存在者よ,その淀んだ水を破って,清らかな,それゆえ必然的に悲しい,存在の水よ,湧き上がれ,迸れ!――その願いだけが,明るい夏の夕暮れのぽっかりあいた無為の時間にわたしがはからずもはじめてしまった,いったいどこに向かって,どのように続いていくのか皆目わからない,この彷徨的なエクリチュールのたったひとつの存在理由である。だから,もとより書かれるべき何かがあるわけではない。言明されるべき対象があるわけでもない。言われることは,何が言われるにしても,たいして重要ではない。ただ,わたしが抱え込んだ多くの鈍重な思いこみ,いくつもの無意識の規制を打ち破り,かいくぐり,解き放たれて,真理であれ狂気であれ,はてまた無意味無意義ですらあれ,純な言葉が流れとして迸るのを,それがどれほどか細いものであっても,待ち,保ち,掬い続けようとすることが重要なのだ。


真理であれ狂気であれ――そう,わたしは言った。それははからずも,はじめから海図も羅針盤もなく漂流することを決意したこの奇妙なエクリチュールがみずからに定めた,まるでオブセッションにほかならないひとつの方位星を指示しているので,それは,なんと真理である。ありていに言えば,わたしは,「真理」という言葉が,自分にとって,そう,あくまでもわたし自身にとってなのだが,なにを意味するのか,知りたい。わたしのこの生,平凡でとるに足らず,幸福でも不幸でもないこの生にとって,「真理」なるものが,なにか決定的な意味を持ち得るのか,そうでないのか,そのことをはっきりさせたい。だが,そんなことを,真夏の午後の光に照らされた劇場前の広場に面したカフェ,その大理石の柱列の下のテラスで,緑色のペリエ・マントを飲みながら,ぼんやりと考えていても,なにもわかってはこないどころか,ますます混乱するだけ。とすれば,この混乱そのものをそのまま書くしか脱出する途はない。書くことのなかに必然的に含まれる自動性(オートマティスム)だけが,人間のほかのどんな活動によっても,思考によっても,単に言うことによっても,到達できない根源的な受動性にひとを導くことができるので,その受動性の過激さがいまのわたしには唯一の頼りなのだ。


だが,わたしがこのように言うことのうちには,すでに真理なるものに対するある構え,あるいは直感のようなものがはっきりとうかがわれるのであって,わたしは,その直感がいったいどこにわたしを連れていくのかを,人生に一度くらいは――いや,むしろ,たった一度だけだ,という厳しい制約のもとに――試してみたいのだが,つまり「書く」ことのうちにしか,たぶん――いまのところは,いまのわたしにとっては――真理との関係(という言葉もあやしいがいまは立ち止まらない)に入る術がないだろう,という直感である。もちろん,真理なるものが,それとの関係にわたしが入る,というような言い方をゆるすものであるのかは疑わしいが,しかしわたしは,わたしという存在がすでに真理なるものとなんらかの本質的な関係にある,が,それがどういう関係なのかは,わたし自身には少しも明らかではない,と前提的に考えているのである。


この「わたしには分からない」という事態を,ここでは,わたしは無明と名付けておく。無明というこのあからさまに仏教の文脈から持ち出された言葉を書きつけた途端に,わたしの脳裏には,わたしが進んでいこうとしているのは,ただ,この無明がそのままで《無の明かり》となる地点なのではないかという予感が,閃光のように,走るのだが,いや,それを言うのはあまりに性急すぎる,たとえそうだとしても,ただそう言うのではなく,実際に,ひとつの旅として,そこまで辿りついてみなければならないのだ。逆に言えば,それだからこそ,どうしても「書くこと」(エクリチュール)が不可欠なのである。エクリチュールは,すでに分かっていることをただ物質的に転写するのではなく,分からないことのうちで,分からないこととともに,書き進むことである限りにおいて,無明を発現させる。無明を無明として経験することを可能にしてくれるのである。実際,そうでなければ,われわれはいったいどのようにして,みずからの無明を自覚することができるだろうか。


われわれは,この世界にあって,ひとつの明として,識として,存在している。わたしは,わたしがこうして座っている机のまわりを,その向こうの書棚を,そして窓の外の光景をこんなにもはっきりと意識し,認識している。陽が落ちて,木々の緑の向こうの空は,その透明な青の深さを増して,そのなかをときおりアマツバメの編隊が波打つ弧を描いて通り過ぎていく。わたしは確かに世界の,ということは,この唯一の,誰にでも等しく開かれた世界の内に存在し,しかもそれを内側から照らし出し,意識している。わたしが識ることのできる範囲は限られており,それは,けっして汲みつくすことのできない世界の広大さ,膨大さ,限りなさに比べれば,ほとんどとるに足らない微塵の範囲にすぎず,無意味なほどに限定されているが,しかしそれでも,わたしは世界を認識し,世界のうちにあるみずからをそのようなものとして自覚し,世界とともに存在している。どれほど条件づけられ,制約されていようとも,ここには地平としての明るみがあり,開けがある。わたしは,夜のなかの燈台のように,世界のなかのひとつの明なのだ。


もちろん,わたしの認識が間違えるということはありうる。明が錯乱や錯覚ではないという保証はどこにもない。しかし,それでもなお,その認識の表象がどのようなものであれ,世界の内のこの明の開けのなかで,世界がつねにすでに与えられていることは確かである。しかも,わたしの明がどれほど,条件づけられ,制約されていようとも,世界そのものは,はじめから一挙に,誰に対しても,わたし以外のすべての他者に対しても,唯一のものとして存在しているのである。世界は,断固として,決定的に,わたしに先立ってある。世界はつねにすでに与えられてある。そして,わたしは,その世界の内に,つねに遅れてやって来たものとして,存在しているのである。


世界とは,わたしがそれと釣り合いを保った関係を考えることができるような対象なのではない。それは対象のひとつなのではない。それは,地平つまりわれわれにとっての存在の規範的な地平であり,与えられてある存在の全体性であり,また,限りなさであり,けっしてわれわれのほうから出発して構成するものではない。世界とわたしは,圧倒的に不均衡なのであり,実際,いまこの瞬間にわたしが,突然の出来事によってこの世界から消え,不在になるとしても(それはいつでも起こりうる),しかしこの同じ唯一の世界は,微動だにせずにそのまま続いていくのであり,そのことを,われわれの誰もが自明のこととして識っているはずである。それこそ,世界の定義の根本的な一部なのである。


おそらく,この圧倒的な不均衡こそ,人間に,哲学の仕事――そして同時に,さまざまな宗教や芸術活動――を発動させる根本的な契機であるのかもしれない。われわれは,世界とのこの圧倒的な不均衡の関係を均衡に持ち込むために,真理を,神を,美を発明する必要があったのだと言うこともできるかもしれない。わたしは世界を認識するが,しかし同時に,さすがに北国の夜とはいえもうすっかり遅くなってほとんど闇に溶け込む前の最後の青を湛えた空を低く舞っているあの数羽の蝙蝠や,窓の向こうでまだ静かに戦いでいるプラタナスの葉叢のように,世界に溶け込んで存在するのではなく,その認識の明のせいで,逆に,圧倒的な不均衡そのものを自覚しないわけにはいかないのだ。わたしは世界の内にいるが,しかしそれだけでは,わたしはまだ,完全には世界に帰属してはいない。わたしは,けっして世界のすべてを識り,知ることがないのだし,また,単に,そのような量や範囲というだけではなく,世界を世界として成立させているその根本的なあり方も分からない。世界は,その世界としての存在のうちに核心的な秘密を保持しているように思われるのに,しかしその秘密からはわれわれは完全に締め出されているのだ。


わたしは世界のうちにいるが,しかし世界の秘密からは遠ざけられている。世界にはそこらじゅうにいっぱい秘密が隠されているように思われるのに,わたしはその秘密には参与していない。それゆえに,わたしはけっして完全には世界に帰属してはいないのだ。わたしは,世界の内にありながら,しかし世界に帰属しそこねていると言ってもいい。だからこそ,人間にとっては,世界への帰属はつねに問題そのものとなるのである。わたしは,世界の内にありながら,しかし世界の存在と,そこに明の開けとしてあるわたしの存在とのあいだの根源的なずれ,不均衡,非帰属性を,その明の可能性そのものにおいて自覚しないわけにはいかないのだ。それは,同時に,わたしには,わたしがどうして,このように世界の内にいるのか,どうして《いま,ここ》において存在しているのか,必然的な根拠を見出すことができないということでもある。なるほど人間社会の内という範囲でなら,わたしがどのような経緯で,いくつもの偶発事をつづり合わせるようにして,《いま,ここ》に至ったのかを,物語=歴史風に語ってみせることもできるだろう。しかし,それを超えては,わたしは,世界のなかに根をおろすような仕方でみずからの存在の根源的な理由を知らないし,いや,どっちにしてもそのようなものなどないのかもしれないのだ。


いずれにせよ,世界の存在は,はじめから,圧倒的に,自明であるが,しかしその広大で確固とした自明性に比べて,わたしの存在はなんと偶発的で,とるに足らず,曖昧なのだろう。コギトであれ,超越論的主観性であれ,はてまた別の言い方を借りるのであれ,わたしが――さて,どのようにしてか?――《いま,ここ》に存在することは,少なくともわたし自身には,確かで自明だが,しかしその自明性は,わたしを包み込んでどこまでも広がるこの世界の圧倒的な自明性のもとでは,なんと不安定で頼りなく,はかないものだろう。わたしの存在は,この圧倒的な世界の現存の内にあって,ひとつの明るい影のようなものではないか。しかも,この影は,確かに夜も更けてくれば,もうすぐ眠りに落ちるのだから,日ごとに,目覚め,眠り,絶え間なく明滅している影なのではないか。


目覚めているわたしがどれほど明るい意識を保持することができたとしても,その明は,十数時間もたたないうちに,まるでみずからの内に引きこもっていくように閉ざされてしまう。コギトは眠るのだ。すると,コギトはあんなにも確信していた自己の存在(sum)すらも失って,まったくの無になってしまう(いや,眠りの世界にも夢という無数のイメージの流出の境域が拡がってはいるが,それはまた,もう少し先の話だ)。しかし,そのようにわたしはわたしを失い,ほとんど無となって眠るのだが,しかしそのあいだにも,世界はそのまま同一のものとして変転し続け,存在し続けることを,わたしはあらかじめ確信している。眠りに落ちるとき,誰も世界がそこで失われ,消えてしまうと怯えはしない。むしろなにか途方もなくなつかしいものにみずからを委せるかのように,わたしはほっと安心しながら,眠りに落ちていくのだ。むしろ不安こそが眠ることを妨げる。


そして,朝,眼が覚めるとき,われわれは世界をふたたびそのまま見出すことにけっして驚愕したりはしないのだ。前夜,眠りに落ちたときに認識した世界の最後の光景と,翌朝,目覚めたときの新しい光に満ちた世界の光景とでは,もちろんすっかり様相が変わってしまっているが,しかしわたしは,思いがけずたくさん寝たとびっくりすることはあっても,そこに同じ世界がまた拡がっていることを少しも不審には思わない。もちろん,知らぬ間に薬剤を投与されて,その間に人為的に見知らぬ場所に移され,眼が覚めたとき自分がどこにいるのか分からないで戦くということは極限的にはありうるだろうが,それでもわたしは自分が,見知らぬ違う場所とはいえ同じ世界の内にいるという圧倒的な感覚を失いはしないだろう。わたしが眠り,わたしの意識の明が閉ざされている間にも,世界はそのまま続き,変化しつづけ,変化しながら同じものとして存在し続けているということを,わたしはわたしの意識の奥底ではけっして疑うことはないのだ。


その限りでは,眠っているわたしと世界とのあいだには,しっかりとした共犯の関係があると言うべきかもしれない。わたしはわたしの身体をすっかり安心して世界へと委ねてしまい,そうしてわたしを失い,解きほぐすようにして眠りに落ちていく。眠っているわたしは――いま,夢というその内的な意識の境域のことを考えないのなら――完全に世界と一致し,そしてその意味では,完全に世界に帰属してもいるのであって,とするなら,わたしがこの世界の内にあって,しかし完全には帰属していないという事態は,わたしが日々,この夜の眠りのうちから世界へと目覚め,世界のうちで世界を認識し,意識し,そのような明として存在することによってのみもたらされるのだとも言える。


夜のなかで燈台の明かりがともる,すると同時に,夜は消え,世界はそのたびごとに鮮やかな朝であり,しかしその明るさゆえに,わたしはもはやただ世界に帰属しているのではなく,世界と向かいあって,世界に対して存在しはじめる。夏の短夜が明けて,目覚めたわたしはベッドから起きあがる。わたしは,世界の内で,立ち上がり,まるで燈台のように,燈台として,直立する。すると,世界は,わたしの前にある。それがわずか一メートル七三センチにすぎないのだとしても,しかしこの屹立した高さから,わたしは,世界を俯瞰する。と同時に,そのポジションが開く「前」という時空へと向かい合う。横になって眠っていたとき,わたしには,かろうじて「内」と「外」というぼんやりした時空しか開かれていなかった。そこでは,わたしは,確かにすっぽりと世界の内に包まれていた。しかし,目覚めて立ち上がったわたしには,「内」と「外」という位相だけではなく,新たに「前」が,そして同時に「後」が開かれた。わたしは世界の内にありながら,しかし同時に世界の前に,世界を前にして,存在している。世界に向かいあっている。そして,そのとき,世界は,ただ単にわたしの場所であるだけではなく,わたしが行為するべき舞台となる。わたしは行為するものとして世界に立っているのであり,つまりわたしはわたしの行為がなされるべき未来の時間を「前」にしているのである。


世界は,ただわたしが存在する場であるのではなく,また,わたしがそこで行為する場であり,その意味でわたしの可能性の場である。わたしは,わたしの行為可能性を通じて世界に対して開かれている。世界に目覚めたわたしは,同時に,時間へと目覚めたのであり,この世界=時間の内にあって,爾後,つねに行為へと誘われている。わたしは,行為の主体として,世界に向かいあっているのである。そして,こと世界に関しては――ということは,社会的な規範や習慣,癖,あらゆる種類の行為のレシピという人間化された領域をとりあえず傍らにおいて考えるなら――,わたしはそのありうべき行為に対して,徹底して自由なのである。わたしは,この世界=時間の目覚めのなかで,どのように行為することもできるのだ。


たとえば,夏の夜明け,その世界の目覚めのなかで,わたしは歩く。わたしは生き生きとした生暖かい息吹を目覚めさせる。「金髪の滝」(wasserfall)――これはたぶん昇る太陽の光のことだ――に笑いかける。そのヴェールを一枚ずつ剥いでいく。そして,時を告げる雄鶏に朝の到来を教えてやる……こうして少年ランボーは,夏の夜明けを抱く(ランボー「夜明け」〔『イリュミナシオン』〕参照)のだ。もちろん,わたしにはできないことがたくさんあるし,わたしができることは,どれも些細なことだろう。にもかかわらず,わたしは行為の可能性に開かれているというだけで,すでに自由なのである。わたしはそれを根源的な自由と呼ぶ。わたしは,世界の内に,すでに自由な開けとして立っているのである。


言うまでもなく,この根源的自由はつねに脅かされている。あるいは病いによって,あるいは社会権力による拘束によって,あるいはその他の事情によって,この根源的な自由すらもが,侵害され,脆弱化され,危うくされるということはある。捻挫をすれば歩けなくなる。牢獄のなかでは,ゆるされる行為は極度に制限されている。しかし,にもかかわらず,世界に向かい合うものとしての根源的な自由は,その場合ですら,完全に奪われてしまっているわけではない。そんなことが起こるのは,わたしが,もう立っていることができずに,瀕死のベッドに横たわったときかもしれない。だが,それでもなお,わたしがいくばくかの言葉を発することができるとすれば,あるいは愛する者に微笑むことができるとすれば,わたしの自由はその最後の行為の可能性を残しているのである。


わたしが行為の主体であるということ,それは,世界が対象化されるということでもある。行為が可能になるためには,現実的にも想像的にも,世界が,目的―対象―道具―表象―行為図式といった一連の複雑化のプロセスに従って再組織化されるのでなければならない。世界に対するわたしの明の明るさは,この行為可能性によって裏打ちされているのであって,おそらく権利上はそうすることが可能なのだとしても,事実上はわれわれは,知覚世界と行為世界とを切り分けることはできない。それは,裏表の関係にあるのだ。われわれが,歴史のなかで,かくも自由に憧れ,自由な体制を実現しようと,しばしばおのれの生命を賭けてまで,闘おうとするのも,少なくとも,人間がつくりあげる社会の掟以前に,すでにまだいかなる掟も課せられていないうちに,世界との向かい合いというこの根源的な関係において,すでに自由として存在していることを識っているからなのだ。いや,自由というものがなければ,行為は可能ではない。草原の草を食む牛,サバンナで縞馬に襲いかかるライオンははたして,人間的な意味で行為をしていると言えるだろうか。それらの運動は,本能と欲求がもたらす結合による条件付けを通して,環境世界のなかに埋め込まれているのではないか。しかし,それでは,人間と戯れるイルカはどうか。もっと人間的な行為に近づいているようには見えないか。おそらく,遊戯とは,行為の可能性の確認=実現そのものであり,まさに自由の明証であるにちがいない。それは,決定的な指標だ。だが,ここでは,まだ,自由に裏打ちされた行為と自由という観念に必ずしも裏打ちされていないと思われるさまざまな運動・動作とのあいだの明確な境界線をどこに引くのかを見定める必要はない。わたしとしては,ただ,世界の内にあるわたしの開けが,ただ単に,知覚的なものでもなければ,存在論的なものでもなく,同時に,行為論的なものであって,それらの次元は,それぞれ分かち難く絡み合っていること,そしてわれわれの存在=行為論的な自由は,事実的かつ可能的に,すでに,はじめから与えられているということを言っておきたいだけなのだ。


性急さゆえの誤解を避けるために付け加えておくが,それは,なにも自由というわれわれにとっての根本問題がすでに解決されているということを意味するのではなく,逆に,それゆえにこそ,人間にとっては,歴史のなかの至るところで,自由こそが最大の問題となり続けなければならないということを指示しているのである。だから問題は,たとえば知覚や感覚的なものから出発して自由へと辿り着くことなのではない。また,認識論と倫理とを区別して,いったいどちらに「第一哲学」という名誉ある場所を与えるかを争わせることでもない。《いま,ここ》のわたしの開けは,はじめから認識論的であり,存在論的であり,かつ倫理学的である。むしろ,この根源的な自由から出発して,それに基礎づけられているはずの人間の行為が,どのようにして,結果としては,いまなお続く,ひたすら人間的自由を虐げる歴史世界を生み出すに至るのかを理解しようとすることなのだ。


先に,わたしは,わたしが真理なるものとなんらかの本質的な関係にあるとして,しかしそれがどういうものであるのか「わたしには分からない」という事態を,無明と名付けておいた。はたして,この無明がわたしにとって問題となるのは,あくまでもわたしが,行為する主体であるからである。わたしには,分からないことだらけである。わたしは,宇宙がどのように生まれたのか,地球の内部のマグマがどうなっているのか,宇宙の暗黒物質と呼ばれるものがどういうものなのか,物質の究極の姿がどのようなものなのか,なにも分からない。いや,もっと身近に,眼前の樹木のことも,いや,みずからの身体のことも,そのそれぞれの細胞の働きもなにも分からない。個別的な対象のどれについても,その「真理」――としての記述があるとして――を知ってはいないのだ。だが,そんなことはどうでもいいのだ。それは,確かにわたしの無知を示してはいるが,しかしそれは無明ではない。無明とは,世界内のある対象についての「真理」を知らないということなのではなく,世界と向かい合う自由として垂直に存在しているわたしの存在のあり方のうちに――同語反復になるが――その自由を統べるいかなる法も見出せないこと,その自由を照らし出すいかなる明りもないこと,行為主体として,わたしは世界と向き合っていながら,しかしなぜそのような向かい合いが可能であり,そこに何が託されているかを理解せず,それゆえ究極的には,わたしはわたしが何者なのかまったく分からないこと――そのようなことのうちにこそ存しているのだ。


ということは,世界の内に行為主体として垂直に立つというこの明,あるいは開けが保証している根源的自由は,それもまた根源的であるほかはない無明とけっして別のものではないということである。自由=無明である。そして,そこにこそ,人間には未来という時間が開かれているのだ。


未来は,わたしが行為を行う場であるが,しかし同時に,わたしのあらゆる意図や計らいを超えて世界のほうから出来事が生起してくる時間である。わたしには,この一瞬先にも何が起こるのか分からない。どんな災禍や事故,あるいは逆に――稀なことだが――どんな福音が襲ってくるのか,わたしには完全には予想がつかない。未来とは,本質的にわたしの無明の時間である。そして,そうであることがわたしに分かるのは,わたしがその未来の時間のなかで,自分の自由から出発して,行為をするべき主体だからである。われわれがみずからの脊柱を横たえて存在していたときには,世界は,環境世界に包みこまれた生体としての存在という〈内―外〉という単純な存在のトポロジーの次元において展開していた。しかし,われわれが直立し,世界に向かい合うようになったとき,ただ単により広い世界の眺望が開けたというだけではない,われわれは,世界のなかに未来という時間の切り込みを刻みこんだのである。まるで垂直に伸びた茎の端で,一輪の花が,眼のように,花開くのと同じく,われわれは,世界とともに拡がった存在の土壌のなかから,垂直性を立ち上げることによって,未来という無明の裂開を切り開いたのだ。すると,そこでは,世界は,途端に,もはや単に存在するものが存在するというだけではない。世界は,あらかじめ予測のできない不時の出来事がまるで波のように次々と押し寄せて来る出来事の海と化すのである。世界は出来事の海であり,その無明の海のなかで,しかしわたしは行為主体として,みずからの自由に基づいて行為しなければならず――どこに向かってか,何のためにか――,泳がなくてはならないのだ。しかも,当然のことながら,わたしが行おうとする行為が成就するという保証はない。荒海に呑み込まれ,翻弄されて,遭難し,わたしの行為が決定的に失われてしまうということは,充分ありうるだろう。行為は,けっして偶然を廃棄しない。わたしは行為主体であるだけではなく,世界の出来事を感受する受動的な被主体である。印欧諸語で「主体」を意味する“sujet(subject / subjectum)” という言葉が,同時に,何かを「被り」,「従属し」,「免れようもなく受け取る」ことを意味しているように,行為主体は,出来事の被主体と分かち難く一体となっているのだ。


未来は,まだない時間である。だが,人間にとっては,まず,この《まだ,ない》時間こそが裂開として切り開かれると,とりあえずは,言うことができる。はじめに,《まだ,ない》がある。ここまでのわたしの貧しいエクリチュールもそうしてきたが,われわれがこのような世界の(再)構成的な記述をはじめるときに,かならず拠り所として要請するあの《いま,ここ》もまた,実はむしろ,《まだ,ない》から派生したものと考えるべきなのだ。すなわち,《いま,ここ》というこの疑いのない自明性がまずあって,そしてそれから後に,《まだ,ない》という未来の時間が措定されたり,想像されたりするというのではないのだ。そうではなくて,まず,はじめに世界と向かいあった行為の可能性が開かれ,未来が開かれ,そしてその,まだない時間である未来が襲いかかり,打ち寄せてくる場として,あるいは,そこを出発点として未来の行為が組織されるべき場として,《いま,ここ》という現在があらためて要請されるのである。これは,過去―現在―未来という言語図式に慣れ親しんでいるわれわれには,考えることがかなり難しいことかもしれない。しかし,その図式をまさに括弧に入れて少し静かに考えてみれば分かるように,人間の意識,その垂直の明がなければ,世界の内には――定義上――,未来というものはない。未来という,この《まだ,ない》はない。世界が,現に在るのだとしたら,未来は当然,現にない。そして,過去も現にない。もちろん,世界そのものが,分かち難く時間であり,空間である。時間と世界とは別のものではない。時間は世界現象である。だが,その時間は,過去―現在―未来といった人間的な区分をまったく超えて,途方もなく広大な一続きの爆発そのものである。しかし同時に,われわれは,ビッグ・バンやその後の無数の星の生成消滅が生み出した原子によって構成された物理的存在である限りにおいて,その爆発の,あまりにも些少な一部でありながら,しかし,そのいまだに爆発し続けている世界と向かいあって,来るべき出来事に身構え,来るべき出来事を行為しようとする。すなわち,われわれは,単に世界を「前」にしているだけではなく,同時に,《まだ,ない》を,その《ない》を「前」にしているのだ。


自由とは,どのように定義しようが,自分から出発して出来事の連鎖をつくっていくことができるということであろう。つまり,時間を連鎖としてはじめることができるということだろう。世界は,ただひとつの爆発として,確かにわれわれの言語記述によれば,「未来」に向かって――しかし未来なしに――進んでいく。「前」へと進んでいくのだ。しかしまた,人間の意識にとっては,時間は,その唯一の根源的なアスペクトである《まだ,ない》未来から,それゆえ,わたしには分からない出来事の波として打ち寄せてくる。現在とは,未来に突き出た突堤の先端であり,船の舳先である。そして,現在という拡がりのなかにゆったりと拡がるともみえる世界の存在,わたしの存在は,これまでに未来が打ち寄せてきた無数の痕跡,搬び寄せた無数の漂着物の堆積にほかならない。よちよちと歩きはじめた幼児がそうであるように,はじめは,ただ時間の波が押し寄せてくるだけなのだ。まだ,ほとんど過去はない。だから,過去・未来と区別された現在もない。子どもは未来の海で遊び続ける。そして,もちろん人間はかならず人間のあいだに,すでに存在する先行的な共同体のなかに生まれてくるのだという根本事実を,いまは括弧に入れておいてという条件のもとでだが,いつか気がつくと,足元に自分がそこに足を置いて直立している波打ち際が,いや,もっと過激に言うなら,自分自身がそれである岸辺が,存在しているのである。


わたしは自由だ。もちろん,わたしは無数の制約のもとに存在している,というより,わたしの存在そのものが,いかにしても逃れることのできない――(たぶん,死を除いては,と言いたくなるかもしれないが,死すらもそれを逃れさせないだろう,と言うことができる方向へとわたしは思考しようとしている)――制約そのものである。それを,わたしは,存在論的拘束と呼ぶ。しかし,そうした拘束にもかかわらず,わたしは自由なのであり,いやそれどころか,そうした拘束が自覚されるのは,あくまでも,わたしが根源的な可能性として自由だからであり,つまり世界に可能性を,可能性としての《まだ,ない》を切り開いており,その可能性――いまだに不可能性とつきあわされていない可能性――のうちで行為へと運命付けられているからである。


そして,もしわたしが,なにか真理のようなものを必要とするとするなら,それは,あくまでこの自由においてである。すなわち,わたしはあれをすることもできれば,これをすることもできる。だが,いったい何をするべきなのか。いや,いかなる《するべき》もないからこそ,わたしは自由なのではないか。だが,それでは,わたしの行為とは,いったい何なのか。それは,世界の内の単なる偶然のひとつなのか。無明のなかのもうひとつの盲目であるのか。わたしの行為を照らし出すいかなる明もないのか。ここで問題となっているのは,個々の行為の具体的な理由付けでもなければ,目的の説明でもない。そうではなくて,わたしのこの制約的な存在そのものから出発して,わたしが行為をするその地平の全体を全体として照らし出す明のことなのである。


だから,わたしは――あらためて深い感動と驚きとともに――思い出さないわけにはいかない,古代ギリシアで「善のイデア」が呼び出され,発明されたことを。われわれの行為を照らすものとして,まるで《太陽》のようなこの照明以上に簡潔で強力な発明がはたして可能なのかどうか,わたしには疑問だ。「善のイデア」――最終的には,わたしもまた,その言葉が指し示す明へと辿り着くというだけなのかもしれない。だが,しかし,それもまた,まったく別の経路を通ってである。そして,ここでは,その経路,その道行きこそが重要なのだ。


歴史のどんな悪戯によってか,日本語で「哲学」と訳されることになった言葉は,もともとは「学」のひとつではなかった。フィロソフィア(Philosophia)――それは,誰でも知っているように,むしろ「愛」であった。明知(sophia)への「愛」であった。「学」は,非人称的であり,それゆえ,それは継承可能な歴史的な連続性を備えている。専門的でないような「学知」はなく,その行為主体は,厳密に,専門家という権威のもとにある。しかし,愛は,言うまでもなく,その度ごとに,みずからがあらためて愛するのでなければならない。みずからの自由から出発して愛するのでなければ,愛ではない。愛は,それがどのようなものであれ,一種のパッションである。たとえ継承という形をとる愛がないとは言えないのだとしても,それでもなお,その都度,あらためて愛することを行為しなければならないのだ。


だが,この愛は何を愛するのか。明知(sophia)を,である。だが,それは与えられているわけではない。それは,世界内の対象として与えられているのではないのだ。明知を愛するということは,眼の前にあるものを愛することではなく,《まだ,ない》もの,《まだ,ない》明を愛するということである。眼の前にあるのは,無明である。この無明を通して,しかしひとつの明に,ひとつの知に行き着こうとすることが愛することである。だから,それはこの無明を愛することでもある。未来という無知とおのれの存在の無明とを――しかし明知の方に向かって――愛すること,そしてそのためには,われわれは,この無明のほうから,無明を通して,ひとつの明が発明されることを,忍耐強く,待つのである。


そしてそれだからこそ,わたしには,エクリチュールが不可欠なのだ。わたしにとっては,フィロソフィアとは,本質的にエクリチュールと結びついている。おそらく,人間には,真理とかかわり,真理を表現するさまざまな仕方があるだろう。真理は,けっしてフィロソフィアの専有物ではない。だが,フィロソフィアは,あくまでも「書くこと」という行為だけを通じて,真理とかかわろうとする行為なのである。真理を書くというのではかならずしもない。というのも,世界のどこかに,隠されているにせよ,そうでないにせよ,無言の真理があり,それを記述するということではないからだ。また,ある対象があり,それとその記述とが一致するところに真理があるというわけでもないからだ。そのようなことは,世界内の対象に対する学知の真理である。しかしフィロソフィアは,世界とわたしとの向かい合いから出発して,わたしの存在と行為の無明を照らし出す真理を求めていく。この未来への開けそのものを,もっとも受動的な――知覚よりも受動的な――行為,ほとんど無為の行為,とはいえ,ありうるべき明知への愛によって貫かれ,その限りでみずからに対する約束によって制御された行為であるエクリチュールを通して経巡ること。そして,叶うならば,そうすることで,その不明の開けを明と化すことが賭けられているのだ。


フィロソフィアの歴史とは,エクリチュールの歴史である。そこには,多様なエクリチュールが登録されているが,どれひとつとして同じスタイルで書かれたものはない。対話篇もあれば,アフォリズム集もある。命題集もあれば,狂気の物語もある。世界精神の物語もあれば,厳密な学的構成を誇る著作もある。どんな愛もそれぞれ固有のスタイルを持っているように,フィロソフィアのエクリチュールもまた,それぞれが思いっきり独のスタイルを備えている。そして,その独自性こそが,まさにそれぞれが,そのつど,真の愛であったことの明白な徴なのである。


フィロソフィアを,テクストの註釈学だと誤解することなく,その生成の現場において把握しようとするならば,それは,まぎれもなく,そのたびごとに,世界とともに生まれ,再生しようとする危機的な愛の行為にほかならない。たぶん,そのことを実証するためにのみ,このエクリチュールはみずからを開始することを決意したのだ。

(この項,了)■

小林康夫(こばやし・やすお)
1950年,東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授(フランス文学,哲学)。『思考の天球』,『表象の光学』。訳書に,ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』。