美しく似ている
a-chroniques 《1》

松浦寿夫|プロフィール

今日の美術の状況にも当然のことのように,世界化の指標の獲得が急務であるかの様相が顕在化しているし,事実,さまざまな媒体で,世界性の文脈のもとで活躍するとされる日本人作家の活動が紹介される機会も増大している。また,今年,二回目を迎える横浜トリエンナーレの開催もまた,このような状況の文脈の構成に少なからぬ寄与をもたらすことだろう。これもまた,現在時の徴であることは否定しがたいものであることを受け入れながらも,この現在時の内部で確定される場を欠いたまま生起する時代錯誤的,より正確に言えば,時間錯誤的,つまり“a-chronique”な次元の可能な限り厳密な記述を試みてみたいという野心は,傲慢かつ誇大妄想的な欲望にすぎないのかもしれない。にもかかわらず,この野心のもとに,何度となく反復される同型的な世界化の物語の余白で,あるいは埒外で,あるかなしかの可視性をわずかばかり帯びたにすぎない徴候を記述することから,とりあえず開始してみることにしよう。


かなり以前に日本でも公開された『サム・サフィ』(原題は,“Sam suffit”。したがって,“Ça me suffit”〔もう十分〕という文章の同音書き換えの原題を,フランス語の発音により近似的に書けば,サム・シュフィ)の中で,主人公の女性が同世代の若い画家にむかって,ピカソ以後に絵を描き続けるなんてずいぶん勇気があるのね,と心底あきれたように語るくだりがある。「ピカソ以後,絵画制作を続行することは無謀である」あるいは,発話者の意図を汲んで,「ピカソ以後,絵画制作を続行することは無意味である」と,この発言を定式化することもできる。もちろん,ピカソ以後に制作された優れた絵画作品は多数存在し,その点で,この命題の発話者に対して,美術史的な教養の欠如を単に指摘すればよいのかもしれない。とはいえ,この命題には発話者の素朴さにもかかわらず,文化的なある種の不安が一般性のもとに書き込まれていると考えてみることもできるだろう。


その意味では,たしかに,ピカソという名は,ここでは,長期間にわたる破壊と実験の総体に対してとりあえず与えられた名前であって,いわば西欧絵画史を解体することによって,それに終止符をもたらした,ほとんど非人間的な歴史的過程の作用力を代表するものとして要請された名前であるといえるかもしれない。いずれにせよ,もはや,すべての実験はすでに試みられてしまい,もはや何らかの試みの同型的な反復しか残されていないのではないかという不安の顕在化の徴候を,先の命題に見出すこともできるだろう。もちろん,この種の不安を一掃するすべがないわけではなく,奇妙なことにポスト‐モダニズムの名を借りて1980年代の日本を席巻した歴史折衷主義が語るように,すべてはもはや反復であると断言してしまうか,あるいはアドルノ的な意味での「老化」を思考することの拒絶の身振りによって,新しさの徴の絶えざる到来を素朴に信仰するなりできればよいわけだ。だが,この対極的にみえる二つの方策のいずれもが,その素朴さにおいて,強迫神経症的に,この不安の所在をより鮮明に露呈してしまうことも容易に見て取ることができる。


そこで,この夏に開催された二つの展覧会を取り上げてみることにしよう。それは,「山田正亮の絵画」展(府中市美術館)と,「アジアのキュビスム」展(東京国立近代美術館)である(なお,山田正亮の作品は後者の展覧会にも一点だけ展示されている)。アジア諸国の近代芸術の展開の諸様相を検討する上で,キュビスムという共通の様式的な尺度を提示してみせた「アジアのキュビスム」展は,アジア諸国の近代芸術の展開の一面を具体的な諸作品とともに目撃するという機会を提供してくれた点で画期的な展示であったが,何よりも注目すべき点は,近代芸術の切断面の提示に際して,たとえばフォーヴィスムではなく,キュビスムを様式的な尺度として選択した点にある。というのも,フォーヴィスムを批評基準に設定した場合,その様式的な拘束性の負荷の希薄化を招きかねず,おそらく展覧会としてのまとまりを欠くことになりかねなかったことだろう。


いずれにせよ,今回の展示は,キュビスムがこういってよければ,さまざまな偏差を伴いながらも一種の国際様式として流通しえたという事実を明瞭に示すことに成功しているが,日本を含めて,いくつかの国々では,1920年代前後の作品群と1940年代以後の作品群とがあわせて出品されている点に注目すべきだろう。というのも,この異なった時代に制作された,あえていえば,二つのキュビスムは,二つの異なった思考の様態を体現しているかもしれないからだ。その点をもっとも明瞭に示しているのは,日本の例であって,大きく分けて言えば,一方に,1920年代の大正期の前衛美術運動の担い手たちが,このキュビスムという造型的な形式を自らの前衛性の指標としていわば通過儀礼的に摂取した成果としての作品群がある。とはいえ,この場面でのキュビスムの語彙と統辞法の理解がどのようなものであったのか,つまりそれが単に同時代的な様式的な徴以上の何ものかを備えたものであったか否かは,さらに今後の検証に委ねられるべきだろう。ところが,もう一方の,1940年代の作品群には,同時代性の指標とは明らかに異質な次元が露出することになる。それは,たとえば鶴岡政男の作品に顕著なように,戦争という暴力の非人間的な行使の痕跡を,身体に加えられた歪曲として描きだす局面で,不意に,キュビスム的な語彙との隣接性が出現する例である。


だが,今回,もっとも注目しておきたい例は山田正亮の例である。府中市美術館で開催された,この画家の最初の回顧展の出品作品からも明らかなように,彼はキュビスムの提起した問題に同時代的な流行現象としてではなく,まったく異なった仕方で直面せざるをえなかった異例の画家である。つまり,1940年代後半の戦後の物資の欠乏状態のさなかに描き始められた一連の静物画の展開において,参照すべき同時代的な西欧絵画の図版も資料も欠いたなか,この画家はもっぱら静物を題材としながら,自らが表現の形式として採用した絵画という仕組みそのものの成立条件の検討を同時的に遂行せざるをえなかったのだが,まさにこの点において,習得すべき語法,現代性の徴たりうる語法としてではなく,絵画をその本源的な条件にむけて解体する試みとして,彼はキュビスムに遭遇することになったということだ。あるいは,より正確に言えば,絵画の条件を綿密に検討すべく,絵画をその構成要素へと分解する過程で産出された作品群が,キュビスムの仕組みに対して不意の合図を交わすように類似してしまったということだ。


今回の回顧展は,もっぱら,1940年代の静物画から1960年代初頭のストライプの作品群の形成期までの試みから構成されているが,その時間軸に沿った展示は山田正亮の制作上の変貌過程を明瞭に示すことに成功している。その時々の美術状況とは無縁なままに持続的に遂行されたこれら一連の制作は,一人の画家がほぼ独力で推し進めた稀有の探求の歴史としてさらなる再検証の対象となりうるだろう。そして,何よりも,彼の作品が時として,フランク・ステラやアド・ラインハートの作品との同時代的な類似性を否応なく帯びてしまうという事実に注目しなければならない。それも,影響関係といった視点からではなく,不意の一致として注目すべきである。類似性の拒絶,ほとんど神経症的なまでのこの拒絶の身振りは,美術史の空間への自己登録の競争的な欲望の発露にすぎないのだが,それは,美術史の戸籍登録的な記述の打ち立てる影響関係という網の目の中でのプライオリティーの確保がほとんど唯一の芸術的な価値の指標を構成するかのような幻想,市場の論理と連関しつつ肥大化しつつある幻想の一つの局面にすぎない。だが,はたしてこの類似性とは,なんとしても排除されるべき刻印なのだろうか。


府中市美術館の展示関連プログラムとして行われ,筆者も参加した討論会でも指摘したことだが,絵画的思考の類似性が無関係な場所で生起することはつねにありえることである。そしてこの類似性の突発的な出現を,影響関係といった語彙とは別の語彙で語る方法こそが発見されるべきであって,これらの突発的な類似性の生起こそがあえていえば絵画の奇跡に他ならない。ちょうど,会ったことのない者どうしが不意に合図を交わしあうかのように出現するこの奇跡を前にして,ポール・エリュアールの詩句を借りて「美しく似ている」と発話するとき,われわれは国際性という曖昧な常套句のうちに明確に別の次元を発見することになるだろう。そして,この奇跡的な遭遇は,時代も国籍もやすやすと越境するという意味で,さまざまな場所を席巻する国際展とはまったく別の次元で,きわめて明解な越境のレッスンをもたらしてくれることだろう。

(この項,了)■

松浦寿夫(まつうら・ひさお)
1954年,東京都生まれ。東京外国語大学教授。美術批評家。『風の薔薇3 シュポー ル/シュルファス』(編著),『モダニズムのハード・コア』(共編著),『村山知 義とクルト・シュヴィッタース』(共著)。