テーブルとタブロー
a-chroniques 《2》

松浦寿夫|プロフィール

この夏に開催された「山田正亮の絵画」展(府中市美術館)に再び立ち戻ることにしてみよう。前号で指摘したように,今回のこの回顧展は,いかにも遅ればせな試みであったとはいえ,山田正亮の長期間にわたる持続的な制作に対する初めての美術館規模での回顧展であったという意味で特筆に値するものであったし,その意味で,必ずしも十分な予算を備えているわけでもないこの美術館の企画運営には改めて敬意を表しておきたいと思う。とはいえ,今回の展示は,この画家の1948年から1964年にかけての作品群と最近作の展示に限定されたものであって,その制作の全貌を視野に収めることを禁じてしまっているという限界を指摘することは容易だが,ともあれ,次回のより網羅的な展示の機会が何らかの仕方で実現されることを期待することにしよう。むしろ,この時間的にきわめて限定された期間の展開だけを,かなりの数の作品群によって構成した今回の企図は,単に一人の画家の変容の状態を露にしてくれるばかりでなく,キュビスムという理念の組織的な再検討という課題にとっても貴重な機会を提供してくれるという意味で,きわめて充実した展覧会であったことは強調されるべきだろう。


ここで若干,迂回することになるが,開催されたばかりの「プーシキン美術館展」(東京都美術館)に展示される近代フランス絵画の名作群は,いうまでもなくこの美術館が収蔵する膨大な数の作品のごく一部にすぎないのだが,これらの作品の集積に貢献したセルゲイ・シュチューキンの活動を想起しておくのも無駄でもあるまい。というのも,シュチューキンならびにイワン・モロゾフによるフランス近代絵画の収集には明確であると同時に特殊な徴候が書き込まれているからだ。それは,もっとも実験的な徴候を示す,セザンヌ,ピカソ,マティスの作品への明白な傾斜を示しているということだ。しかも,彼らがこれらの作品を購入し続けた時期に,その作品群はフランス国内にほとんど購買者を見出せぬ状況におかれていたことも指摘しておくべきだろうか。いずれにせよ,この項の文脈との関連でいえば,シュチューキンのコレクションでは,ピカソ54点,マティス53点が質,量いずれの点でも圧倒的であったが,とりわけピカソのコレクションでは,分析的キュビスムの形成の過程を網羅し,そのあらゆる段階における解体作業の諸局面を追跡することを可能にするものとなっていた点に注目すべきであろう。


ところで,後にロシア立体-未来派の組織者の役割をはたすことになるダヴィッド・ブルリュークは,友人のミハイル・マチューシンに宛てた1910年の書簡に――,

モスクワでシュチューキンとモロゾフの2つのフランス絵画コレクションを見た。これはもう,それがなかったら私など仕事を始める気にもならないぐらいのものだ。家に閉じこもって3日になるが,これまで描いたものはすべてご破算にした。ああ,一切を最初からやり直すということは,なんとつらいものであることか,そしてまた,なんと楽しいものであることか。
(水野忠夫『マヤコフスキー・ノート』からの引用)

と記している。ここで,ブルリュークは,これまで自分が依拠してきた絵画の体系の瓦解と新たな体系の起点とを同時に経験することになる心理的な起伏を素朴に示している。ともあれ,これらのコレクションがもたらした教育的な効果は,立体-未来派の形成の条件を構成したといえよう。


さて,このような教育的な環境をことごとく欠いた第二次世界大戦直後の日本において,参照すべき具体的なコレクションもなく,図版すら欠乏するなか,一人の若い画家が直面したものといえば,それはごく端的に静物でしかなかったかのように,山田正亮はもっぱら静物という主題に取り組むことになる。ここで,ほぼ同時期に刊行された吉岡実の詩集が『静物』と題されていたことも指摘しておくべきだろうか。ともあれ,実際に眼前に存在する静物ではなく,想像的な静物の絵画として制作された山田正亮の作品群が徐々に絵画の体系の解体の徴候を示し始め,画面全体が限りなく均質に近いストライプの反復で覆い尽くされるにいたる過程を,その諸段階を画する多くの作品とともに示す今回の展覧会は,たしかにシュチューキンのピカソ・コレクションとはまったく異なった仕方であるとはいえ,いま一度,絵画の解体現象の諸局面の検討のための格好の機会を提供してくれるものであった点でも,きわめて教育的な場でありえたといえよう。


そこで,いくつかの作品に表れる具体的な注目すべき徴候に触れておくことにしよう。 これら一連の静物画は1950年以後,ほぼ一貫して,出窓に隣接したテーブル上に壜,水差し,果物皿,グラス等が配置されるという構図をとっている。選択される色彩も青から緑のシークエンスとイエロー・オーカーから赤のシークエンスという二つの色帯の組み合せでほぼ構成されている。1951年にはすでに諸形態を限定する線は幾何学的に秩序づけられる様相を呈し始めるが,ここで注目しておきたい点は,何よりも,テーブルの奥の縁,つまり観者にとって遠い方の縁の位置が画面のより上方へと移動し,また勾配の傾斜が急なものになりつつある点である。


その効果として,観者はテーブルに対してより俯瞰的な視点を持つことになる。また,こういってよければ,テーブルの向こう側の縁がタブローの上辺に向けて限りなく接近するかのような様相を呈すると同時に,本来水平的なテーブル面が,徐々に屹立し,その傾斜ないし勾配を高め,タブローの垂直面と平行状態に近づくかの印象を与 えることになる。


たとえば,〈Still Life no.37〉(1951年)では,テーブル面はタブローの垂直面とほぼ平行した矩形の様相を示すことになり,視線は上方からテーブル面をほぼ直行に俯瞰する位置に仮設されることになる。そして,テーブルの傾斜が高まり,向こう側の縁はさらにタブローの上辺に漸進的に近接していく過程で,両者が接するとき,ないしテーブルの縁がタブローの上辺を越え出てしまうとき,あるいはテーブルが直立してしまうとき,絵画面から奥行きが追放されるとまではいわないまでも,少なくとも,奥行きはきわめて浅いものとならざるをえなくなる。その結果,〈Still Life no.84〉(1954年)や〈Still Life no.96〉(1954-55年)などに顕著なように,テーブル上の事物の側面は画面とほぼ平行な状態に置かれることになる。ただ,壜や水差しの円形の開口部を構成する線だけが,浅い奥行きのイリュージョンの効果を産出することになる。そして,〈Still Life no.100〉(1955年),〈Still Life no.101〉(1955年)にいたると,テーブル上の事物は,あたかもテーブルを垂直にひっくり返した際に,自らの存在の外形的痕跡だけを残して放擲されてしまったかのように,錯綜するダイアグラム的な線状組織へと変貌していくことになる。そのとき,〈Work B.109〉(1956年)のような,絵画外的な事物をほとんど指し示さない絵画面,こういったほうがよいのであれば,純粋に抽象的な画面が登場することになるのも必然的な過程とみなされるだろうし,〈Work B.148〉(1957年),あるいは〈Work B.154〉(1957-58年)のほぼ中央に置かれた矩形にかつてのテーブルの痕跡,それも,まったく直立し,画面と完全に平行なテーブルの痕跡を見出すこともできるだろう。


静物画から,絵画面の解体を経ていわゆる抽象的な絵画へといたる実験的な過程を展示するという今回の展覧会は,この解体の過程がテーブルの直立化の過程として出現したことを明瞭に示している。言い換えれば,それは,水平的なテーブルの面を垂直的なタブローの面へと変換する過程であったということだ。この点から,再び,キュビスムの形成を,三次元的な世界の二次元的な画像への変換という紋切り型の記述とは別の次元で再考する機会を導き出すことはできないだろうか。たとえば,前回,同じく言及した「アジアのキュビスム」展のカタログに収録された林道郎の「オン・ザ・テーブル――静物の実験」がテーブル上の事物の明晰な分類学を描写しているが,たしかにピカソやブラックのキュビスムにおいて,静物,つまりテーブル上の事物は特権的な主題を構成している。だが,テーブル上に配置される事物の構成ではなく,これら事物の台座ともいうべきテーブルこそがキュビスムの真の主題ではなかっただろうか。こういってよければ,テーブル・ペインティングとしてのキュビスムの記述の可能性を想定できはしないだろうか。

(この項続く)■

[付記]
なお,テーブルとタブローとの関連については,「table/tableauについての断章」(『建築文化』,2000年10月号)と題した拙文を参照していただきたい。

  

松浦寿夫(まつうら・ひさお)
1954年,東京都生まれ。東京外国語大学教授。美術批評家。『風の薔薇3 シュポー ル/シュルファス』(編著),『モダニズムのハード・コア』(共編著),『村山知 義とクルト・シュヴィッタース』(共著)。