【編 集 後 記】

2005年
10月15日(土)

昨晩はSA君,SU君と三人で徹夜してしまった。数年前に,どうしても必要があってKA嬢と徹夜して以来だ。月刊の雑誌をはじめるのだから,多少忙しくなるだろうとは思ったが,徹夜しなければならないとは思わなかった。SA君,SU君は若いからともかく,50代の老骨にはこたえる。考えてみれば,雑誌を刊行するのは,小社としてはこれが二度目だ。といっても,すでに20年以上もまえのことで,季刊の雑誌のつもりではじめたのだが,10年もかかって,でたのは5冊だけだった。そのときには,とりわけ小林康夫,松浦寿夫,松島征,加納光於等々といった方々にご協力いただきながら,あまりにも不甲斐ない状況で,執筆者の方々にもあわせる顔がなかった。というようなわけで,今回は,一晩や二晩徹夜しようとも,なにがなんでも月刊でだす,と決めたわけである。しかし,私がいくら個人的に「決め」ても,月刊雑誌ともなれば,スタッフの協力なしには不可能である。SA君,SU君がいくら若いとはいえ,徹夜はやはり大変だ。私は寝ぼけまなこで「状況はどう?」などとたずねるだけだが,二人はやはり大変だったと思う。夜中の2時か3時頃に,SA君が「これから毎号,こんなことになるんですかねえ……からだがつづくかなあ……」と,独り言のようにつぶやいたときにはまいった。SA君はあさっての月曜日,出社してくれるだろうか…… 仕事がすべて終わったのは朝の9時頃だった。SA君は帰宅し,9時半に印刷所の担当者にMOその他を渡した。だが,SU君と私はまだ帰れない。正午すぎに,印刷所の担当者が「白焼き」をもって来た。それを30分ほどかけて二人でチェック。印刷所にOKの電話をいれて,午後1時頃に,ようやくすべての作業が終わった。SU君は帰宅。私も帰宅,というわけには今日はいかない。午後6時から渋谷でKY先生との打ち合わせがある。喫茶店と書店で時間をつぶし,渋谷へ。30分ほど,新著の件を話し合う。このあと,KY先生を中心とした三人の方々による共訳書の打ち合わせもあるのだが,そちらのほうは,申し訳ないが,一緒にいったKU嬢におまかせ,ということにして,ようやく帰宅した。地獄のような二日間だった。


10月17日(月)
午前8時半,SA君,SU君を含め,全員出社。雑誌創刊にともなう「犠牲者」がでずにすんでよかった。


10月21日(金)
創刊号の見本,50部,製本所から届く。取次店に見本をだす。


10月26日(水)
創刊号,取次店に搬入。2~3日後には書店の店頭に並ぶはず。大型書店だけだが。


10月27日(木)
2時半に,宿泊先の半蔵門のホテルに荒川修作さんを訪ねる。荒川さんの事務所ABRFの本間桃世さん,SU君の四人で,ホテル近くの喫茶店でお茶をのむ。先月,パリであった荒川+ギンズをめぐる国際シンポジウム(日本から参加したのは小林康夫さんだけだったようだ)の様子や,いろいろなことをきかせてもらった。創刊号の「荒川特集」については,荒川さん本人も喜んでくれたようなので,一安心だった(内心はヒヤヒヤだったが)。


10月31日(月)
第2号の「小島信夫特集」のための写真撮影を午後からやる予定なのだが,朝から雨模様。天気予報では「午後から小雨,夕方から晴れる」。どうしたものかと,ぐずぐずしていると,同行してくださる予定の山崎勉先生から「どうしましょうか」の電話。とりあえず小島先生に電話してみると,「こちらは晴れてますよ。予定どおりやりましょう」とのこと。山崎先生と1時に国立駅前で待ち合わせることにし,にわか写真家のSU君,担当編集者のKU嬢と一緒に,あわてて国立の小島先生宅に向かう。先生宅についてみると,たしかに快晴だった。まず戸外で撮影することになり,先生が「5~6分,歩いたところに林のようなところがありますから,そこがいいんじゃないですか」とおっしゃる。そこはたしかに,なかなか感じのいいところで,写真撮影にはいい場所だった。撮影がおわると,ちいさな立て看板のようなものが目にはいった。ここは私有地なので立ち入り禁止,といった意味のことが書いてある。そういえば,撮影のおわりころに,近くの道路にとまった小型トラックのなかからこちらを見ている人がいたが,もしかすると,この林の所有者だったのかもしれない。知らなかったとはいえ,誠に申し訳ないことをしてしまった。なにとぞご海容を。ついで,小島先生宅へ戻り,玄関前や,その前の階段のところなどで撮影し,さらに室内,さらに厚かましくも仕事部屋兼寝室にまで「侵入」して撮影させていただいた。先生には3~4時間お付き合いいただいたが,とにかくお元気だ。90歳とはとても思えない。


11月7日(月)
昨夜はまた徹夜をしてしまった。今回はひとりである(スタッフにそうそう徹夜させるわけにはいかない)。自宅で,第2号のゲラの最終チェックをしたのである。単純な誤植はすくなかったが,こまかいところの若干の不統一,レイアウト上の若干の問題等々がやはりあった。朝9時に出社し,ゲラを修正,印刷所の担当者に最終的なデータをわたす。そのまま定時まで仕事をして,帰宅。今日から,連続四夜にわたる「荒川修作を巡る徹底討論」がはじまるのだが,SU君にいってもらうことにして,今日ばかりはごかんべん願うことにする。徹夜は今回かぎりにしたい。毎号これでは死んでしまう。


11月8日(火)
「荒川修作を巡る徹底討論」の第二夜をききにゆく。録音機材をもったKU嬢と青山の東京ウィメンズ・プラザ・ホールヘ。今日は,馬場駿吉先生の司会,ゲストは佐藤雅彦さん。むろん荒川さんもおおいにしゃべった。1Fの席はほぼ満員,2Fの席もけっこう埋まっていた。終わってから,荒川さん,馬場先生にあいさつ。KU嬢と渋谷の「冷郷」で食事。


11月10日(木)
「荒川修作を巡る徹底討論」の第四夜にゆく。今日,録音機材をもつのはYO君。早めについたので,荒川さんと雑談。司会は塚原史さん,ゲストは高橋順一さん。今日の討論は非常におもしろかった。塚原さんの事前の準備が周到だった。『意味のメカニズム』はもちろん,まだ未定稿の“Dying is illegal”も読んできているようだった。終わってから,塚原さんにあいさつ。YO君と渋谷でビール。


11月12日(土)
小社,今月から土曜日も毎週,仕事をしている。今年の新刊の刊行が予定通りゆかず,休んでなどいられない状況になったのである。午前8時半に全員,出社。事務所近くの倉庫(流通倉庫)へ。ときどき頼んでいる運送屋さんのKさんはすでに来ている。全員で二トン・トラックに返品をつみこむ。20~30分で三千冊くらいはつんだだろうか。これ以上は無理。9時前後に,群馬県の藤岡にある小社倉庫に向け,Kさんと二人で出発。スタッフが六人もいるのに,なぜ,最年長で,言いたくはないが社の代表者でもあるこの私が,倉庫に返品を運んだりせねばならないのか,私にはおおいに疑問である。もし,小社スタッフのなかで,私にかわって倉庫にゆこうという人間がいるなら,私はおおいに評価するつもりである。

(HS)