記憶の感触──転落譚《3》

中村邦生|プロフィール

(3) ためらいは,まだ続く



〈優柔不断〉な人物をめぐってしばしの応酬の後,男たちは去り,静寂が戻った。
彼らは姿を欠いた声だけの漂う〈引用体〉=〈亡霊〉なのであるから,私は遠ざかっていく人影を見送る別離の風景を眺めていたわけではない。しかし,私の脳裏では遠近法に似た構図のイメージが広がり,後ろ姿が地平の彼方の消失点に向かって吸い込まれていくのを見つめているような情景が残った。同時に,彼らの消滅と入れ替わりに何か現われ出るものがあるのではないか,とそんな予感も抱きながら静けさに身を浸していた。
遠近法で眺める情景の最深奥の一点は,記憶の凝集する焦点にも思えてきた。そこを起点として反対側にも広大な空間が接し,私の記憶の埋まる沃野がある。耳を澄まし,目を凝らせば,その焦点が消失=出現の場となって懐かしい情景が現われ,どんどん拡大しながらこちらに近づいてくる気がした。
だが,それは見るという行為に収斂されることではない。ここではもはや,視覚的遠近法の示す外界と視線との関係よりも,明らかに「私の身体の内奥の無意識から表面の感覚に到る遠近感こそ,時間も意識も,物と精神の交叉や相互浸透のすべての問題が含まれ」(近藤耕人「記憶の遠近法」)ている。それならば,「内奥の無意識」と「表面の感覚」との焦点はどこにあるのか。もはや視覚の問題ではないと知りつつ,またもや見るという気分の構えで,心像の焦点を求めようとする。
文字通り「焦点」に強く意識を集中しているのであるから,心像の一角が熱を帯び,焦げくさい臭いを放ち,炎を上げはじめる。火事の予感。意識の彼方に煙が上がる。
……そんな取り留めのない思いを唐突に切断して,「どうなさる? やっぱりいらっしゃる?」と女の声がした。〈優柔不断〉なる言葉に喚起され,しばらく前から待機していた小説があったのだ。

美佐子は今朝からときどき夫に「どうなさる? やっぱりいらっしゃる?」ときいてみるのだが,夫は例の孰方つかずなあいまいな返辞をするばかりだし,彼女自身もそれならどうと云う心持もきまらないので,ついぐずぐずと昼過ぎになってしまった。一時ごろに彼女は先へ風呂に這入って,どっちになってもいいように身仕度だけはしておいてから,まだ寝ころんで新聞を読んでいる夫のそばへ「さあ」と云うように据わってみたけれど,それでも夫は何とも云い出さないのである。

谷崎潤一郎『蓼喰う蟲』の書き出しだ。この「孰方つかず」で「あいまい」,「ぐずぐず」して「何とも云い出さない」男の名は斯波要。この優柔不断のために,妻の美佐子も「それならどうと云う心持もきまらない」状況にある。関係が破綻していながらも,小学校四年の息子を含めた三人が傷つかないように別れたいため,離婚を先延ばしにしている夫婦の日常を描く小説だ。
『蓼喰う蟲』は新聞連載の後,1929年に刊行されたものだが,千代夫人が和田六郎(後の推理作家・大坪砂男)と親密な交際を続けていた時期にあたる。
ところが翌年,谷崎はこの千代を佐藤春夫に譲るという,いわゆる〈夫人譲渡事件〉としてセンセーショナルな話題を集めたり,実生活の複雑な恋愛関係が進行していた。
美佐子は阿曾という愛人と逢引きを重ねているが,要はその事態を放任したまま離縁の最終的な決断がつかず,曖昧な態度のまま日々を送る。
冒頭のシーンにおいても,二人は大阪の弁天座に人形芝居を見に行く予定なのだが,要は寝転んで新聞などを読み,一向に動く様子はない。それでいて,彼には「今日は予覚があって,結局二人で出かけるようになるだろうことは分かっていた」と言う。出かける出かけないで決着がつかないのは,その日に限ったことではなく,お互いに相手に決めさせようとして,「受け身な態度を守る」のだ。

ちょうど夫婦が両方から水盤の縁をささえて,平らな水が自然と孰方かへ傾くのを待っているようなものであった。

文楽の見物は美佐子の父親から,前日に誘いがあった。この義父が「六十近い年寄り」と述べられていることに私は軽い動揺を覚える。昭和初め頃の平均寿命から考えれば,還暦は十分な「老人」とは思いつつも,やや違和感を禁じえない。そうした感じ方こそ,小説の登場人物としての私の出自を確認する有力な手がかりになるだろうか。どこかの作中で私もそれに近似した年齢で生きていた可能性がある。
いや,性急な判断をすべきではない。昭和28年封切りの小津安二郎監督『東京物語』で,母(東山千栄子)の死んだ歳を確かめた次男坊(大坂志郎)が「六十か,ずいぶん歳やなー」と呟くのだが,それを「すごく変な気がした」と率直に感想を述べた成人を迎えたばかりの若者の証言も私は知っている。
いずれにせよ,仮に私が『蓼喰う蟲』の作中から転落したのだとしても,この趣味人の「年寄り」でないことは確かだ。「若い時分に女遊びをした人間ほど,老人になるときまって骨董好きになる」と要は義父について説明している。つまり「書画だの茶器だのをいじくるのはつまり性慾の変形」だからである。私の記憶の微細な感触を確かめてみても(あくまでも今の時点での感触だが),女遊びも骨董も書画も茶器もまったく追懐の情感が湧いてこない。
では,斯波要なのか。多少とも身に覚えのある感じ方があるとすれば,先の人形芝居の誘いをめぐる義父との遣り取りが一例となるかもしれない。以前,要は老人に,こんど文楽に行くときには,ぜひ自分も誘って欲しいと本当は望んでもいないことをご機嫌取りで言う。相手はそれを真に受けて,具体的な観劇の提案の電話をよこす。彼は億劫に思うのだが,もはや断り難い。そこで,しぶしぶ付き合うことになるかと言えば,必ずしもそうではない。あの人は「洒落な,からっとしたところ」があっていいとか,別れる前に「一ぺんぐらいは親孝行」をしておくのも悪くないとか,前向きの気持ちをすぐに作り出してしまう。むしろこちらの方の気分こそ重きをなすようになる。煮え切らない振る舞いとは裏腹に,意識はすばやく転換するのだ。その行動と意識の齟齬こそが新たにためらいを惹き起こす悪循環を生む。しかし,斯波要のことを述べているつもりが,私の自己像を勝手に重ね合わせているに過ぎないかもしれない。迂闊に自己像と言ったが,これとて私の所属していた物語に行き着かない限り,描き出しようがないものではないか。
またもや袋小路に入ってしまった。少なくとも,物語の住人としてのかつての私は斯波要ではない。記憶の感触,あるいは充溢した〈しっくり〉感がないことと同時に,この夫婦の余裕ある資産家ぶりが,どう記憶の細部を探っても確かなものにならないのだ。
ならば,経済的な逼迫の中にあったのか,と思い返してみても曖昧なままである。
斯波要とは無縁だと判断すれば,私にはかえって興味の尽きない人物として愉しめるように思えてきた。「君の道徳ではだらしのないのが善だと云うことになるのかね?」と,不決断の態度が理解できない従兄弟の高夏に詰問されて,要はこう答える。

善ではないかもしれないが,生れつき決断力の乏しい者は強いて性質に逆らって迄も決断する必要はない。そう云うことをしようとすると,徒らに犠牲が大きくなって,終局に於いて却って悪いことが起る。だらしのない人間はやはりだらしのない性質に応じて進退する道を考えるべきだ。

別れることが善であるなら,最後にそこに行き着ければ,そのプロセスがいかに遠回りでもよい,「僕は実はもっとだらしなくても構わないと思っているんだ」とまで言う。ある種の論理性が感じられないこともない,「だらしのない性質に応じて進退する道」の弁明ではあるが,こうした間延びした日々への要の執着は,意外にも濃密な気分を醸し出す日常に存在するのである。

長い間の習慣で夫の気持を鋭く反射する彼女は,自分も同じ感傷に惹き込まれるのを恐れるかのように殊更隙間なく身を動かして,妻たるもののなすべき仕事をさっさと手際よく,事務的に運んでいるのであるが,それだけに要は,彼女と視線を合わせることなく余所ながら名残を惜しむ心で偸み視ることができるのであった。

吉田健一が旅人に譬えて論じているところである。旅立つ前,住み馴れた故郷の眺めがこれまでにない清新さで迫ってくるとか,その場限りの異国の風景が特別な意味を持つとか,要するに「充実した緊張がそこに働く」と吉田は言う。旅立つ前の美佐子は感傷に陥るのを避けて,「妻たるもののなすべき仕事」の動きを止めない。一方,留まる方の要は「名残を惜しむ心」で密かに妻を窃視し,去る者の姿態を心に刻みつける。この動と静の対比の緊張が二人の日常を作っている。ここにあるのは単なる遅滞ではない。意外なほどの動きを秘めた日常なのである。『蓼喰う蟲』の〈優柔不断〉とは,そうした生きた惰性とも言うべきものかもしれない。
この小説にはさまざまな〈転機〉と〈過渡〉のテーマが潜んでいる。要の待ちの態度,つまりは「水盤の縁をささえて,平らな水が自然と孰方かへ傾くのを待っている」ような態度は,青春と老年の間の中年期が老境へ向かう心の準備をするときの切実な「進退する道」のひとつなのだ。実際,誰しもこうした「だらしのない不決断」によって毎日を凌ぐ他はない状況が存在しよう。

谷崎自身に関して言えば,よく指摘されるように,『蓼喰う蟲』は西洋志向から日本の伝統文化回帰へ,東京から関西移住へという〈過渡〉を内包している。それは主人公の名前の通り,「要」の位置にあるのだ。
まだ,私自身の問題が残っている。あの転落事故から始まった懐かしい小さな場所=ページの探索において,『蓼喰う蟲』の登場はどのような意味を持っているのか。私の在住していた小説ではありえないと判った以上,なおさら不可解だ。「優柔不断」という言葉に弾かれて現われたにしても,なぜ私はこの小説を鮮明に思い出すに到ったのか。察するに,ここにおいてもまた〈転機〉と〈過渡〉が重要な役割を持っているに違いない。『蓼喰う蟲』を経由して初めて招来の道筋を拓く作品があるのだ。そこに近づくためには,谷崎潤一郎のこの傑作をいったん記憶の一隅に戻さなければならない。

(以下次号)■

中村邦生(なかむら・くにお)
1946年,東京都生まれ。作家。大東文化大学文学部教授(英米文学)。『月の川を渡る』,『〈虚言〉の領域』。