オルフェウス的主題《3》

野村喜和夫|プロフィール

喪のエクリチュール――フランス現代詩のいくつかの場面


縁起でもない問いから始めるが,もしもあなたが最愛の人を亡くしたらどうするか。だれしも悲嘆に暮れるだろう。老齢に達してからの自然死であっても十分につらいだろうが,とくに不慮の事故や不治の病によって最愛のパートナーを奪われた場合には,なぜ彼女あるいは彼だけが,と神も仏もないことを嘆き,あるいは呪うだろう。それから魂を抜かれたような状態になり,仕事にも何も手が付かず,最悪の場合は彼女あるいは彼の後を追おうとさえするかもしれない。だがしかし,同時に,時間がその悲しみを運び去ってくれることもたしかだ。西洋ではそれを鳥のイメージになぞらえて,「時の翼が悲しみを連れて行ってくれる」というような言い方をするらしい。視点はちがうが,日本の諺にも,「去る者は日々に疎し」とある。それが世のことわりというものであり,忘却することができるというのは,ある意味で,人間にそなわったごく自然な自己保存本能のひとつかもしれない。逆に記憶はタナトスへと結びつく。もしもすべてがただひたすら記憶されるだけだったら,人は一日たりとも生きては行けないだろう。

けれどもここに,不思議なというか特異なというか困ったというか,そういう人たちが存在する。それは作家あるいは詩人と呼ばれる人種で,彼らのうちのある者は,最愛の者に先立たれたこの体験,本来言葉にはならないようなこの喪の体験を,それでも言葉にして書き留めようとする。なぜそんなことをするのか。たぶん言葉の力を信じているからだ。あるいは,少なくともその信がどの程度のものであるかを試そうとしているからだ。作家の場合はそれでもフィクションという手続きを踏むのがふつうだから,初回にみた舞城王太郎の作品におけるように,おのれと言葉とのあいだにいくらかの緩衝地帯を置くことができる。素手のような状態で,言葉の力への信を試そうとするのは詩人であろう。もとより死に対して言葉は無力である。だが,それでもその無力な言葉を書き連ねてゆくとき,マイナスの積がプラスに転じるように,そこから別種の言葉の力,別種の言語表現の可能性が生まれはしないか。詩人は考える,もしも言葉にそのような力というものがあるのならば,書くことによって少なくとも大いなる慰めが訪れるかもしれない。あるいは,不意に奪われた彼女あるいは彼の生がいくらかでも宥められることになるかもしれない。あるいはさらに,書くことによって彼女あるいは彼の生がいわば言葉のなかに復活し,在りし日の生とは異なる輝きを帯びることになるかもしれない。

そう,オルフェウス的主題の始まりである。なぜなら,最愛の妻エウリュディケーを失ったオルフェウスこそは,そういう言葉の力(あるいはそれへの信)を授けられた最初の神話的人物だからであり,その力の行使によって,喪の体験をそれこそ地獄下りにまで深めることができた最初の詩人だからである。

 

オルフェウス的主題。それはほぼ時と場所をえらばないかたちで世界中の文学にみられるはずであるが,ここでは,私がこれまで日本文学以外で比較的よく慣れ親しんできたフランス現代詩(といってもシュルレアリスムあたりからの)から,いくつか思いつくままに取り上げてみたい。まず,いちばん直截でわかりやすい例として,アンリ・ミショーの『われら今も二人』という作品が思い浮かぶ。

アンリ・ミショー。なつかしい名前だ。若い頃,私はよくこの詩人の作品を読んだ。『わが領土』『プリュームという男』『遠い内部』『襞のなかの人生』『グランド・ガラバーニュへの旅』『みじめな奇蹟』『荒れ騒ぐ無限』……ポール・エリュアール,ルネ・シャール,フランシス・ポンジュらと並んで,ミショーは20世紀フランス詩を代表する大詩人のひとりだが,趣はかなり違う。前記三詩人がどれも文学史的にいわば収まりがいいのに対して,ミショーの場合はどこに置いても収まりが悪いというか,水平でないテーブルのうえを転がるボールのように,不定のままいつか縁の外に転がり落ちてしまう。つまりマージナルなのだ。

それは彼が生粋のフランス人ではなく,ベルギーのフランス語圏出身だからというばかりではない。また,若い頃は船乗りとしてフランスの外にいることが多く,また長じてからも中央の文壇とのつきあいをほとんどしなかったからというばかりではない。その書法やテーマ,つまりその詩的世界そのものがどこか決定的に風変わりなのである。たとえばその書法は,「へたうま」といったらいいのか何といったらいいのか,フランス語の格調をどこか脱臼させたような趣があるし,また好んで生の困難さや社会的不適応といったテーマを取り上げ,そこからの詩的カタルシスつまり「健康」のためにこそ自分は詩を書いているのだというような,ロートレアモンの例の「詩は万人によって書かれなければならない」を思わせるそのあからさまな文学効用説などは,どう考えても純粋正統フランス文学史風ではない。しかしだからこそ,そういうミショーの世界に,同じように生きにくさを痛感しつつ詩人になろうとしていた若い頃の私も惹かれたのであろうと思う。

そんなミショーにあって,かえってふつうに近い感覚で書かれた作品が『われら今も二人』であり,それゆえ逆説的に,ミショーの作品史のなかで特異な位置を占めるにいたっている。作品の背景はきわめて悲劇的である。一九四八年二月,詩人は,結婚後まだ数年にしかならない最愛の妻を火事による大火傷のために失い,大きな衝撃を受ける。彼はまさしくひとりの赤裸々なオルフェウスになって,悲嘆に暮れる心情をストレートに表明し,同時に,言葉の力に訴えてなんとか妻の魂を鎮め,自分たちの絆の永続をはかろうとする。そうして書かれたのが『われら今も二人』なのだ。火に包まれる妻の様子はつぎのように描かれる。〔引用は小海永二訳『アンリ・ミショー全集』(青土社)による。〕

彼女は海へと向かって走る列車の中にいた。彼女は岩の上を飛んでゆくロケットの中にいた。彼女は,身動き一つしないのに,彼女を焼き尽くそうとする火の蛇めがけて突進していた。火の蛇は突然そこにあらわれて,この信じやすい女性をとらえた,彼女が鏡の中に自分のこよない幸福を見つめながら髪をくしけずっている間に。

「火の蛇」というのはごくありふれたメタファーだろうが,同時に,オルフェウス神話を暗示することにもなってしまっている。エウリュディケーが命を奪われることになるのもまた,蛇に噛まれたその結果であるからだ。

お前は沈黙の中に呑まれてもはや決して合図をしない 他の人々のようにはならないだろう。 いや,お前からお前の愛を取り上げるためには,お前に とって一度の死だけでは足りないに違いない。 お前を何やらわからぬ千分の一の稀薄さにまで空間に拡散してしまう あの恐ろしいポンプのなかで お前は今も探している,お前は探している,われわれの ための場所を。

このあたりの章句にも,オルフェウスの地獄下りの神話的様相がかすかなレミニセンスとして読みとれるように思われる。そうして,「お前の冷たさにわたしは凍えた。わたしはお前の苦しみを幾口も飲んだ。われわれはわれわれの相互交換の湖の中に姿を消した」というような,生と死が混交するいかにもミショー的な神秘のモチーフがあらわれたあと,最後の断章はつぎのように締めくくられる。

けれども多分お前の身体は,雪の日の一陣の風のようなものになったのだろう,風は窓からはいってきて,数週間前わたしの身の上に起こったように,身震いかあるいは悲劇の不安な前触れかにとらえられた人間が,窓をふたたび閉めてしまう――そんな風にだ。寒さが突然わたしの両肩に押しあてられ,わたしは急いで身体をおおい,顔をそむけた。その時,それは多分お前だったに違いない,お前が自分に与えることのできる最大の熱度で,歓迎されることを期待しながら。お前も,あんなに聡明なお前も,もはや別のやり方で自分を示すことはできなかった。今,この瞬間でさえ,お前が不安のうちに待っていないかどうか,誰が知ろう,わたしがお前といっしょになりに来るのを。あわれにも,そうだ,あわれにも,そのすべはなく,けれども,われら今も二人,われら今も二人……

いくら死者を悼む言葉を紡いでも,死者そのものを甦らせることはできない。だがそれだけに「われら今も二人」という言葉の繰り返しが,一層痛切にひびく。

ミショーの場合特筆すべきは,妻の死という出来事が,この『われら今も二人』という詩作品とともに,あるいはもしかしたらそれ以上に,彼の特異な画業の進展をもたらしたということであろう。ミショーは詩人であると同時に,知る人ぞ知る画家であり,とりわけ,いわゆるアンフォルメル絵画――第二次大戦後のフランスに展開したデュビュッフェ,フォートリエらの抒情的抽象主義ともいうべき一傾向――の先駆的役割を果たしたとされる。その特異な画風をひらくきっかけとなったのが,どうやら最愛の妻を失うという悲劇であったらしいのである。『全集』に付された訳者解説によれば,ある批評家は以下のように述べているという。「不幸がやってきて,H・Mを厳しくうちのめす。一種の幻覚性の自動運動によって,およそ三百ほどの水彩を施したペン画を描きあげる。長い間,内部におさえられていた怪物たちが,飛びはねながら,這いながら,身を起こしながら,さもなければ,たんにそこにいるだけに甘んじながら――それは忘れられぬ存在だ。」私もそのようなミショーの画集をもっている。ここにお見せできないのが残念だが,そこに描かれた「怪物たち」,ヒトの染色体のようにもみえ楔形や象形の文字のようにもみえるあの「怪物たち」こそは,ミショー=オルフェウスが妻を取り戻すべく下った地獄から持ち帰った真に非意味的で不気味な形象,という気がする。

 

どんな言葉をもってしても死者を甦らせることはできない。それでもなお「われら今も二人」と言いつづけること。この引き裂かれ,この喪のエクリチュールをさらに徹底してみせたのが,現代フランスを代表する詩人のひとり,ミシェル・ドゥギーの特異な詩的エッセー『尽き果てることなきものへ』(梅木達郎訳,松籟社)である。原著刊行は1994年。ミショーの悲劇から半世紀ちかくが流れている。

ミシェル・ドゥギーの名は,残念ながら日本ではあまり知られていない。かくいう私もその作品はアンソロジーでしか読んだことがなく,なんだか難解で哲学的だったという記憶がある程度だ。さいわい,邦訳『尽き果てることなきものへ』には訳者による意を尽くした長文の解説がついているので,随時それを参照しながら話をすすめてみようと思う。ミシェル・ドゥギーは1930年,パリ生まれ。詩人として二十冊を越える詩集を出版し,1989年には詩の国民大賞を受賞している。また哲学者としては国際哲学コレージュの院長を務め,編集者としては雑誌『ポエジー』の編集長および『レ・タン・モデルヌ』の編集委員を務め,さらにはヘルダーリンやパウル・ツェランの翻訳も行っている。かつてのヴァレリーのような,フランスの偉大なモラリストの伝統を受け継ぐ知性派詩人の代表格といったところだろうか。

そんなドゥギーが妻モニックをガンによって奪われたのは1994年1月のことだった。悲嘆に暮れながらも,その悲嘆を全うすべく決然と詩人は書き始める。というのも,最初にも述べたように,ふつう喪に服するということは,死者を悼みながら同時に死者から遠ざかり,「死者をもう一度殺す」(ラプランシュ/ポンタリス『精神分析用語辞典』,「喪の作業」の項,訳者の教示による)ことであるからだ。詩人はそうした忘却のプロセスに徹底的に抗おうとする。死んだ彼女を忘却の淵に沈めまいとして,彼女とのことをひたすら書きつづり,そうしていわば終わりなき喪のエクリチュールへと自らを追い込もうとするのである。訳者の言葉によれば,「喪をいたわり,喪を見張ること」,「死者に忠実であるために,喪の作業を完了することなしに続行すること,それを終わりなきもの,不可能なものにすること」。いきおい記述は断片的となり,余白にみちた寡黙なものとなり,かろうじてそれを一冊にまとめたものがすなわち『尽き果てることなきものへ』なのだが,訳者によれば,原著にはまったくページ数が打たれていないという。終わりなき喪のエクリチュールに,少しでも時系列的な転結を象徴させるものがあってはならないのだろう。そんな試みをしたところでふつうの人にとってはなんら意味のあるものではないのに,詩人にとってはその絶望的なオルフェウス的行為こそが何にもまして切実なのだというように。

じっさい,書物をひらくと,すぐにオルフェウスへの言及が出てくる。

あの女が亡くなった,行ってしまった,過ぎていった,試練を。あのひとは死に迎えられた。ぼくは降りていく。 ではどうやって,あのひとの過ぎ去った命を背負い,わたくしたちの命を,つきまとうあのひとの想いを背負って,――冥府に下ったオルフェウスへの暗示のきれはし,――もう一度浮上するというのだろう,ぼくにはわからない。それでも恐れることなく,あのひとのもとへ,わたくしたちのもとへ,立ち戻っていこう。あのひとを生きたまま浮かび上がらせることはない,それは知っているが。

そして,オルフェウス神話がそうであったように,この『尽き果てることなきものへ』もまた,愛する者の死という衝撃から詩人が立ち直り,ふたたび詩によって生きる力を回復するというような尋常一様の物語ではない。死と向き合って徹底して言葉の無力を実践するとき,そこにどのような別種の言葉の空間があらわれうるのか。そうしたことこそが問われている。その詩的にして哲学的な様相の詳しい紹介は,しかし紙数も尽きてしまった,次回にまわすということにしよう。

 

追記。本稿は筆者がアメリカ滞在を終え,帰国の途につく間を縫うようにして書かれた。帰国して郵便物の山を整理しているうちに,たまたま雑誌「未来」2005年11月号に,訳者,梅木達郎氏の著作『支配なき公共性』の書評が掲載されていることに気づき,読み始めたが,なんということだろう,そこで梅木氏の早すぎる死を知った。書評は逸見龍生氏によって書かれており,「葬り去ることへの慎み」と題されている。合掌。

(以下次号)■

野村喜和夫(のむら・きわお)
1951年,埼玉県生まれ。詩人。『風の配分』,詩集『川萎え』。