発売中の新刊:『レイモン・アロンとの対話』

2013年 7月 4日

レイモンアロン001レイモン・アロンとの対話

ミシェル・フーコー
西村和泉訳
装幀=中山銀士+金子暁仁
A5判上製/95頁/定価=1800円+税
ISBN978-4-89176-979-6 C0010 好評発売中!

 

権力はいかに行使されるのか?

二十世紀を代表する思想家ミシェル・フーコーと社会学者レーモン・アロン。立場のまったく異なる二人が、歴史解釈、主体の問題について語りあう、異例の対談。

 

 

6月の新刊:『神秘の書』

2013年 6月 26日

神秘の書神秘の書

オノレ・ド・バルザック
私市保彦・加藤尚宏・芳川泰久・大須賀沙織訳
A5判上製クロス装クロス函入/432頁/定価=8000円+税
ISBN978-4-89176-971-0  C0097  好評発売中!



バルザックが目指した究極の美!

中世のパリで天上界を夢見る二人の異邦人を描いた「追放された者たち」、その卓越した想像力と知力のために寄宿舎学校や現実に耐えられず狂気に陥る青年「ルイ・ランベール」、両性具有の不思議な存在「セラフィタ」。バルザックに大きな影響を与えた神秘思想家スウェーデンボルグの思想を小説化した三篇に、本邦初訳の序文がついた、完全版。

バルザックが「私は書いたもののなかでもっとも美しい作品」と語った、『人間喜劇』の極北に位置しながら、『人間喜劇』全体に光を放射するバルザック文学の真骨頂!

 

 

6月の新刊:『音楽をひらく』

2013年 6月 26日

‰¹ŠyƒWƒƒƒP“üeŒ©–{音楽をひらく——アート・ケア・文化のトリロジー

中村美亜

四六判上製/256頁/定価3000円+税
ISBN978-4-89176-982-6 C0073 好評発売中!

 

なぜ、わたしたちは《音楽》から《生きるよろこび》を得るのか? 現代の多文化社会で、音楽はいかにして他者理解を可能にするのか——音楽を「生きのびるための叡智」として再発見し、《実践としての音楽》を問う気鋭の論考。

《本書が取り上げる「音楽」という対象は、人間生活のほんの一部の営みに過ぎないかもしれない。だが、人間の内と外を結ぶ音を通じたコミュニケーション、また、そうした行為から生み出される価値システムの創造への洞察は、未来志向のコミュニケーションや共存について考える重要な示唆を与えてくれるはずである。》


目次

 序章


第1部 ケアとして考える

 第1章 コト的アプローチ — 「音楽の力」をめぐって

 第2章 ミュージッキング再考 — 〈語り〉とケア


第2部 文化として位置づける

 第3章 〈プレリュード〉 —  音楽と〈語りなおし〉

 第4章 知覚・認識・記憶 — 音楽文化と身体

 第5章 〈Living Together ラウンジ〉 —  音楽的儀式とメモリーワーク

 断章 〈フェスティバル FUKUSHIMA!〉


第3部 アートとして再定義する

 第6章 音楽とフェティシズム — 価値とコミュニケーションへの新たな視座

 第7章 芸術実践のポリティクス — 芸術・ケア・文化への新たな視座


注/参考文献/あとがき/付録

 

6月の新刊:『未完の国』

2013年 6月 26日

mikannokuni未完の国――近代を超克できない日本

アラン=マルク・リウー/久保田亮 訳

A5判上製/382頁/定価6000円+税
ISBN978-4-89176-978-9 C0031 好評発売中!




ニッポンのゆくえ

江戸期、明治維新、転向と敗戦、高度経済成長、そして東日本大震災——。「開かれた国」であるがゆえに未だ生成途上にあるこの国の歴史と未来を、フランス人哲学者が浮き彫りにする出色の論考。

《本書の目的は日本の現状を理解すること、そしてまた、1990年以来、日本が入り込んだあの危機と移行のプロセスを理解し、その中で起こった変化と改革を見定めることにある。〔……〕2011年3月11日を境に、日本はもはやかつての日本ではなくなっている。そして、世界もまた日本とともに変わってしまった。なぜ、どのようにして変わったのか、それを本書の中で見ていくこととしよう。

 

目次

序 事例としての日本

第1章 前‐近代化のプロセス——徳川時代の知と権力

一、徳川時代の社会システムの特色

二、知識体制

三、知識の社会的地位

四、知の秩序とその進化

五、三つの事例

第2章 近代化の条件

一、王政復古

二、開国の象徴的秩序

三、知識人——非自己実現的階層

第3章 近代化の思想

一、明治知識人の社会的地位

二、福沢諭吉による知の概念

三、開化の衝撃

四、近代

五、「本位」

六、文明化——原典と再読

第4章 近代性

一、近代性の概念

二、日本における近代性

三、森鷗外による混沌

四、漱石の近代性

第5章 近代化の終焉と近代性の超克

一、転向の概念

二、超国家主義的国家および国の概念

三、一九四二年東京——超克のジレンマ

四、一九四九年京都——ニヒリズムとアメリカニズム

五、戦後知識人——「悔恨の共同体」

第6章 近代の回帰——「知識社会」へ

一、ポストモダン運動とその時代

二、日本におけるポストモダンの時代とその変化

三、大いなる移行——「知識社会」としての日本

四、新たな近代化の始まり

五、二〇〇五年から見た二〇五〇年——研究政策にとっての社会的転換点

六、危機と災害を越えた再建

七、民主的進歩と新たな社会モデル

八、連続的制度イノベーション


結論 解体から再建へ——日本はどこへ行くのか?

註 /訳者あとがき

 

受賞報告(『ブルーノ・シュルツ』『ドストエフスキーと小説の問い』)

2013年 6月 21日

小社より昨年刊行された加藤有子さんの『ブルーノ・シュルツ 目から手へ』が第4回表象文化論学会賞を、また番場俊さんの『ドストエフスキーと小説の問い』が同じく奨励賞を受賞いたしました。おめでとうございます!

詳細は表象文化論学会のホームページをご覧下さい(

 



 

bluno_cover加藤有子

ブルーノ・シュルツ——目から手へ

A5判上製376頁/定価=4800円+税
ISBN 978-4-89176-899-7 C0098 好評発売中

 

 

ナチスに射殺されたポーランドの小説家/画家の全貌。

短篇集『肉桂色の店』、『砂時計の下のサナトリウム』、ガラス版画集
『偶像賛美の書』などをとおして、イメージ・言語のジャンルをこえた
表象へと向かう独自の世界観をトータルに捉える世界初のモノグラフィ。

*シュルツに関する最新の情報を盛り込んだ年表を収録。
*日本初公開の図版も多数掲載。


《「手」の制作による再現にとって、言語的要素と視覚的要素の区別は
二次的なものであり、現実/虚構の明確な区別も消滅する。目から手へ。
シュルツが手によって示す芸術制作は何かの模倣、再現ではなく、目と
手の分業によらない対象の提示である。》


 

* 

 

e38389e38395e38388e382a8e38395e382b9e382ade383bc_coverドストエフスキーと小説の問い

番場俊

A5版上製/368頁/5000円+税
978-4-89176-925-3 C 0098 好評発売中

 

 

小説、この反時代的なもの。

これまでの研究者たちがほとんど口にしてこなかった問い——
「小説とは何か」を、昨今のブームも視野に入れ、
ドストエフスキー論の新たな機軸を打ち出す注目の書。

文学史上最高の小説が『カラマーゾフの兄弟』だとしたら、
作者であるドストエフスキーは「小説」という形式を
いかにして探求してきたのか……。
フロイトの精神分析、バフチンの多声性の理論を踏まえ、
「手紙」「告白」「メディア」「時間」をテーマに
ドストエフスキー理解の新たな次元を切り開く。



【目次】

序章

Ⅰ 手紙

第1章  手紙の暴力

第2章  文学と手紙、感応の遊戯

第3章  盗まれた手紙

Ⅱ 告白

第4章  「告白小説」のプラン

第5章  告白の現実的条件

Ⅲ メディア

第6章  『罪と罰』と同時代ジャーナリズム 


第7章  メディア・リテラシーの練習問題

第8章  文学の生まれるところ

Ⅳ 『カラマーゾフの兄弟』

第9章  ゼロ年代のドストエフスキー

第10章 小説の問いから『カラマーゾフの兄弟』へ

第11章 ジャンルの闘争

第12章 『カラマーゾフの兄弟』から小説の問いへ


終章 小説の時間 

註/あとがき

 

 

V. プラシャド 『褐色の世界史』刊行記念トークイベント 

2013年 6月 3日

4月に刊行されたヴィジャイ・プラシャド著『褐色の世界史——第三世界とはなにか』は、激動の20世紀を《第三世界というプロジェクト》の視座から描き出し、その未発のままの歴史/運動/現在をトータルに概括する話題の書として欧米での評価が高く、長く邦訳が待たれていました。著者のヴィジャイ・プラシャドは、サイード亡き後、世界情勢についてもっとも精力的に語る論客として、注目を浴びていますが、本書も刊行以来、各誌紙で好評をいただいております。

◉ 柄谷行人氏(哲学者、『朝日新聞』6月1日付)
「本書から、私は第三世界に関する基礎的な史実を学んだ。〔……〕「第三世界」を滅ぼしたのは、この新帝国主義である。しかし、本書を読んで、私はこう思った。そう遠くない将来に、「第三世界」に代わるものが生まれるだろう、そして、それは新たな国連と結びつくだろう。」

◉ 池上善彦氏(元『現代思想』編集長、『図書新聞』4月27日号)
「著者の指摘するように〔……〕未だ世界全体の第三世界プロジェクトは再開されていない。しかしそこにこそ現在の我々の指針がある。考え抜いたと思った果てに、さらに世界は広がっている。世界は我々が考えるよりずっと広いものなのだ。本書を読んでそれを実感する。」


◉ 野中大樹氏(『週刊金曜日』4月19日号)
「第三世界はすでに消えたのか、今もあるのか。訳者である粟飯原文子氏は、あとがきでこう記す。『第三世界が『プロジェクト』であるのなら、決して消え去ってしまうことはない』と。」




また、来たる 6月16日(日)午前10時30分より、本書の刊行を記念して、ジュンク堂書店池袋本店においてトークイベントをおこないます。
今回のトークイベントは、本書の価値をいちはやく見出した池上善彦さん(元『現代思想』編集長)と、訳者の粟飯原文子さん(アフリカ文学・文化史)が、「21世紀に第三世界を考える——新しい世界史と日本のためのパースペクティヴ」と題して行ないます。ふるってお運びください!

*なお、本イベントは、おなじく粟飯原さんの訳によるアルンダティ・ロイ著『ゲリラと森を行く』を刊行する以文社さんとの共催になります。

「21世紀に第三世界を考える——新しい世界史と日本のためのパースペクティヴ」

講師:池上善彦(元『現代思想』編集長)×粟飯原文子(アフリカ文学・文化史)

日時:2013年6月16日(日) 午前10時30分〜

場所:ジュンク堂書店 池袋本店 TEL 03-5956-6111

入場料:1000円(ワンドリンク付)

 

——

e8a490e889b2e381aee4b896e7958ce58fb2_cover褐色の世界史――第三世界とはなにか

ヴィジャイ・プラシャド/粟飯原文子 訳

四六判並製/2段組447頁/定価4000円+税
ISBN978-4-89176-927-7 C0022 好評発売中!

 

「第三世界というプロジェクト、それはこれまでヨーロッパが答えられなかった問題を解決することなのだ」――フランツ・ファノン


焦眉の世界情勢をとらえるうえで、必読の1冊!

アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、そしてアラブなどで、なぜ、いまも「問題」が勃発するのか。焦眉の世界情勢を歴史的にとらえるためのスタンダードワーク。激動の20世紀を〈第三世界〉の視座から描き出し、その未発のままの歴史/運動/現在をトータルに概括する話題の書。気鋭の訳者による渾身の解説(50枚)を付す。



【本書に寄せられた讃辞】

I・ウォーラーステイン
「今日実行可能な政治プログラムを策定するうえで不可欠な知識」

E・ガレアーノ
「正史や主流メディアの陰に潜む輝かしい世界を発見する手がかり」

P・ギルロイ

「ヴィジャイ・プラシャドは貴重な歴史資源を掘り起こした」

 

受賞情報

2013年 5月 21日

小社より昨年6月に刊行された、藤原辰史さんの『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』が、記念すべき第1回の河合隼雄学芸賞を受賞いたしました。藤原さん、おめでとうございます!

「優れた学術的成果と独創をもとに、様々な世界の深層を物語性豊かに明らかにした著作に与えられる」という同賞の選考委員は、岩宮恵子、中沢新一、山極寿一、鷲田清一(五十音順)の各氏です。選考委員の諸先生および本書にご声援をいただいたみなさま、誠にありがとうございました!

詳細は河合隼雄財団のホームページをご覧ください()。

nazi_kitchenナチスのキッチン 「食べること」の環境史

藤原辰史
四六判上製456頁/定価 4000円+税
ISBN 978-4-89176-900-0 C0022 好評発売中!

 

ヒトラーから《食》を奪還せよ!

いま、もっとも重要な《食》と《エネルギー》の問題を
ファシズムの視座から考える出色の1冊!

ナチスによる空前の支配体制下で、
人間と食をめぐる関係には何が生じたのか?
システムキッチン、家事労働から、食材、
そしてエネルギーにいたるまで、
台所という《戦場》の超克を試みた、
来るべき時代への《希望の原理》。
新発見の事実や貴重なレシピをはじめ、
未刊行資料・図版などを多数収録。

《どうして、「食べること」はここまで衰微して
しまったのだろうか。どうして、強制収容所という
私たちの生活世界からもっとも遠いところの現象が、
こんなにもリアルに感じられるのだろうか?
——これは、端的に言ってしまえば、
この世界が、ナチズムと陸続きだからである》


 

目次—————

序章 台所の環境思想史
歴史の基層としての台所/テイラー・システムとナチズム/台所の変革者たち
台所をどうとらえるか――定義とアングル

第1章 台所空間の「工場」化  建築課題としての台所
ドイツ台所小史/ドイツ台所外史/第一次世界大戦の衝撃/
フランクフルト・キッチン/考えるキッチン/ナチス・キッチン?/
労働者約一名の「工場」

第2章 調理道具のテクノロジー化  市場としての台所

電化される家族愛/台所道具の進歩の背景/マニュアル化する台所仕事
市場化する家事/報酬なきテイラー主義の果てに

第3章 家政学の挑戦
家政学とは何か/家政学の根本問題/家政学の可能性と限界
家政学のナチ化/家政学の戦時体制化/家政学が台所に与えた影響

第4章 レシピの思想史
ドイツ・レシピ少史/読み継がれる料理本/企業のレシピ/
栄養素に還元される料理

第5章 台所のナチ化  テイラー主義の果てに
台所からみたナチズム/「第二の性」の戦場/「主婦のヒエラルキー」の形成/
無駄なくせ闘争/残飯で豚を育てる/食の公共化の帰結

終章 来たるべき台所のために
労働空間、生態空間、信仰の場/台所の改革者たちとナチズム/
ナチスのキッチンを超えて

「食べること」の救出に向けて  あとがきにかえて

付録1 ベストセラーの料理本
付録2 ダヴィディス著『実用的料理本』の版別レシピ構成
付録3 ハーン著『実用的料理本』の版別レシピ構成

註/参考文献/人名索引

 

『ただ影だけ』作品ガイド

2013年 4月 22日

e3819fe381a0e5bdb1e381a0e38191efbc9de382abe38390e383bc小社の新たなラテンアメリカ文学シリーズ〈フィクションのエル・ドラード〉の第1弾として発売後ご好評をいただいている、セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』(寺尾隆吉訳)では、原作者がニカラグアの元副大統領ということもあり、ニカラグアで実在した人物、実際にあった事件にインスピレーションを受け、史実とフィクションを織り交ぜながらさまざまな仕掛けを施しながら、独自の物語空間を展開しています。

そこで今回は、在ニカラグア日本大使館で勤務経験もあり、ニカラグアの政治が専門でいらっしゃる笛田千容さんに、物語を読む際のキーとなるニカラグアの歴史について解説をいただきました。『ただ影だけ』を読んだ後に一読していただけると、より一層作品の理解が深まるのはもちろんのこと、本を開く前にも本書のガイドとしてお読みいただけるものとなっております。

また本書は、新刊・既刊・ジャンルを問わず本を紹介している書評サイト「 Book Newsでも取り上げて頂きました。ラテンアメリカ文学の背景や、作品に登場する(実在する)歌の動画も載せてあり、大変わかりやすい紹介です。そちらもあわせて御覧ください。



こっち側のブタ野郎」はいかにしてつくられたか

——セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』の歴史的背景

ニカラグアは南北アメリカ大陸をつなぐ中米地峡に位置する。太平洋と大西洋、両洋間の結節点という地理的特徴から、中米地峡を貫く交通路の重要性は、スペイン植民地時代から認識されていた。しかしそれが運河計画という形で浮上するのは、カリフォルニアが米国に併合され、ゴールドラッシュに沸き始めた1848年以降のことである。翌1849年、米国の運輸王コーネリアス・ヴァンダービルトは、同国の東海岸とサンフランシスコを結ぶニカラグア航路を創業し、ニカラグア運河計画の先鞭をつけた。蒸気船でカリブ海からコスタリカとの国境沿いを流れるサン・フアン川を遡上し、淡水湖としては世界屈指の規模を誇るニカラグア湖を横断する。そこから太平洋岸までは幾つかの異なるルートが想定されるが、距離にしてパナマ地峡のおよそ四倍。それでも、標高差が小さいニカラグア地峡は、運河建設の有力な候補地とされた。

はじめにニカラグア運河計画について触れた理由は、それがこの物語の遠景をなす19世紀後半から20世紀前半にかけての歴史的事件――ウィリアム・ウォーカーの侵略や、サンディーノ戦争――と密接に絡んでいるからである。保守党の将軍ポンシアーノ・コラルを処刑し、ニカラグアの大統領に就任した自由党側の米国人傭兵隊長ウォーカーの背後には、ニカラグア地峡通行権の独占を目論む米国資本の思惑が渦巻いていた。パナマ地峡における運河建設・管轄権の取得を画策した結果、1903年にパナマをコロンビアから独立させた米国政府は、ニカラグア運河計画をドイツや日本に持ちかけた自由党の独裁者ホセ・サントス・セラヤに対する保守党のクーデターに力を貸した。そして、自由党の反乱を抑えるために海兵隊を派遣し、米国への運河建設権の譲渡を含む「ブライアン=チャモロ協定」(1911年)を締結した。但し、その代償として海兵隊は、自由党の将軍アウグスト・セサル・サンディーノ率いる国民主権防衛軍との戦いに手を焼くことになる。

保守党と自由党の抗争は独立後の中南米諸国に共通するが、ニカラグアの場合、運河計画などをめぐる米国の干渉に晒された結果、保守党政権が長く続いた。19世紀後半、周辺国で自由主義が支配的となっても、ニカラグア自由党は侵略者ウォーカーを招き入れた不始末により権威を失墜していたため、なかなか政権をとることができなかった。ようやく登場したセラヤ自由党政権(1893-1909年)は前段のとおり、米国政府が後押しする保守党のクーデターにより失脚した。

そのことは、ニカラグアの資本家階級の発達の仕方に次のような影響を与えた。保守党と自由党は同国最古の都市グラナダとレオンをそれぞれ本拠地とする。保守党が砂糖や牧畜、商業などを手掛ける一方、自由党はコーヒーや綿花といった先進工業国向け一次産品の栽培を導入し、商業営利的農業の拡大と国際市場への参入を推進した。むろん、作中で保守党の名家であるチャモロ一族が綿花事業を手掛けているように、経済活動と党派制は完全に一致するものではない。とはいえ、セラヤ政権による自由主義改革が短命に終わったニカラグアでは、同時期の隣国エルサルバドルやグアテマラで見られたような、強大な権力を持つ「コーヒー・オリガルキー」は台頭しなかった。彼らによって土地を取り上げられた先住民や、農園で働く貧しい人々の反乱を抑えるために、資本家階級が軍部を重用し、権力を握らせることもなかったのである。

以上のような歴史的背景――強力な国軍の不在と米国海兵隊の駐留、自由主義改革の頓挫と国の実権を掌握する資本家階級の不在――が、ソモサ個人および一族による独裁を可能にした。中規模コーヒー農園主の息子アナスタシオ(通称タチョ)・ソモサ・ガルシアは、海兵隊が撤退前に創設を指導した国家警備隊の総司令官の座に就くと、サンディーノを暗殺し、自由党を牛耳り、大統領の座に就いた。そして、事実上の国軍となった国家警備隊を基盤に、タチョ、その長男ルイス、そして本作の中心人物の一人で、「ソモサ王朝」最悪の恐怖政治を敷いた次男アナスタシオ(通称タチート)の、三代にわたる独裁体制を築いたのである。

タチョは米国への留学経験から英語に堪能で、同国に挑戦的な態度をとることもなく、善隣政策(国家主権の尊重など)を掲げつつも自国の対外政策に従順であることを中米・カリブ地域諸国に期待する米国政府にとっては、都合の良い独裁者であった。そのことを端的に表すのが、フランクリン・ルーズベルト大統領の発言として伝わる「ソモサはブタ野郎だが、こっち側のブタ野郎だ」というわけである。冷戦が深刻化するなか、独裁の長期化も容認された。父親のタチョから国家警備隊総司令官の座を継承し、1967年に大統領の座に就いた次男タチートは、米国のウェストポイント陸軍士官学校仕込みの腕にものを言わせて、反対派や革命勢力を弾圧した。タチートの息子アナスタシオ(通称チグイン)・ソモサ・ポルトカレロは、高齢化・官僚化し始めた国家警備隊のいわば活性剤として、新たに創設された歩兵訓練学校(EEBI)の長官に就任した。そして、ベトナム戦争帰りの元米軍特殊部隊戦闘員を顧問に招聘し、若手精鋭部隊を操って白色テロを展開した。

ソモサは急速かつ不正に富を蓄積しながら、その恩恵に預かろうとする側近や、独裁者に協力的な経済界のメンバーからなる権力集団を形成していった。まず、米国が第二次世界大戦に参戦したことをうけてニカラグア政府も枢軸国に宣戦布告すると、ドイツ人移民やイタリア人移民の資産(コーヒー農園など)を接収し、私物化した。先住民の共有地を解体し、コーヒーや綿花の栽培地を広げた。作中、タチートが手掛ける肉用生体牛の輸送船が出航するが、これはもともと牧畜を手掛けていた南東部(保守党)の経済エリートにコスタリカやパナマへの肉牛の輸出を禁じ、一族が独占したものである。ラニカ航空や国営宝くじ会社も、1960年代頃に多角化されたソモサ系企業の一例である。なかでも国民の恨みをかったのは、貧窮者から血液を買いとり、抽出した血漿(プラズマ)を米国の医療業界に販売していたプラズマフェレシス社である。国民の「血」を売り渡すという、吸血鬼的イメージが政権に与えたダメージもさることながら、そのことを批判した『プレンサ』紙社主・主筆ペドロ・ホアキン・チャモロが暗殺されたことで、国民の間に抗議の波が広がったことは作中にあるとおりである。

一方、ソモサ一族、およびソモサ派と呼ばれる権力集団を敵手とするニカラグアの革命運動は、階級闘争を掲げる人々を含みながらも、多分に階級横断的な国民運動としての性格を持ち合わせていた。キューバ革命に刺激を受けて武装したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が、反米・反帝国主義の英雄サンディーノをシンボルに掲げたことにも、その一端が表われている。かつてサンディーノ戦争に参加したエルサルバドルの革命家ファラブンド・マルティは、階級闘争よりもナショナリズムに燃えるサンディーノとの温度差を感じて連帯を諦め、距離を置くようになったと言われる。ニカラグアの革命運動は当時既に、資本家階級を敵手とする隣国エルサルバドルの革命運動とは異なる性格を見せ始めていた。

それ故か、ニカラグアのエリート層はFSLNを必ずしも敵視しない。作中人物イグナシオ・コラルのように、社会正義を求めてFSLNに協力するのも、決して珍しいことではなかった。チグインの手下に暗殺された新聞社社主ペドロ・ホアキン・チャモロは保守党の名家の出身で、その未亡人ビオレタ・チャモロは1990-97年の大統領だが、彼らの四人の子供のうち、二人はFSLNのメンバーである。FSLNの「クリスマス作戦」で唯一命を落としたカスティージョ前農牧大臣(作中ではパラシオス前国家開発院長官)の娘は、その後ソモサ派ではなく、父親の仇とも言えるFSLNの一員に加わっている。ニカラグア革命は、その階級横断的な性格が、ときに出自や身分によって隔てられた人々を結びつけ、ときに家族や友人たちを引き離してきたのである。

最後に、本作では実在した人物や事件とラミレスの創作が錯綜するが、特筆すべきは主人公アリリオ・マルティニカと、「性悪のメサリナ」である。前者はタチートの腹心として国会議長などを務めたコルネリオ・ヒュック、後者はタチートの愛人ディノラ・サンプソンを強く彷彿とさせる。以下、この二人の人物を中心に、物語の背景やその後日談などについて述べる。

ディノラ・サンプソンは、もともとラジオ局に務める典型的なパーティー・ガールであった。それが1962年頃タチートに引き合わされ、家屋敷などを与えられて贅沢三昧の生活を送るようになり、国の財産で奢侈淫逸にふける独裁者のイメージを国民に植え付けた。タチートの側近らに自分への忠誠を誓わせるなど、愛人の威を借りて女帝のように振る舞っていた。作中、メサリナのイメージを「マラカニアン宮殿に外国製靴三千足」で知られるフィリピンの元独裁者夫人イメルダ・マルコスに重ねているのも頷ける。

影のファーストレディであるディノラに対し、公式のファーストレディであるホープ・ポルトカレロは、良くも悪くも、同国の上流階級を象徴する存在である。母親は名門テバイレ=サカサ一族の出身で、自身はマイアミで生まれ育った。ジャクリーヌ・ケネディ米大統領夫人と並び称される社交界のファッション・リーダーで、一族と縁の深いニカラグアの国民的詩人ルベン・ダリオの名を冠した国立劇場の建設計画に尽力した。

二人の確執(というか、この場合ディノラの一方的な嫌がらせ)が関係省庁を巻き込んで劇場建設の妨げになったというのは、あり得る話のように思われる。ただし、同計画が始動したのは1966年だが、1967年にルイスからタチートへの政権交代があり、その後ルイスが他界したことなどから空白期間が生じた可能性もある。1972年のマナグア大地震に耐えられたほどの建造物であるから、基礎工事などに予定外の時間を費やしたかもしれない。いずれにせよ、本来であればダリオの生誕百周年にあたる1967年頃を目指していたはずの劇場の完成が、1969年までずれこんだことは事実である。

コルネリオ・ヒュックは、自由党党首や国会議長などを歴任し、非軍事面から独裁政権を支えた。妻のリア・プラタも、自由党女性部の幹部に名を連ねた。詳細は定かではないが、革命の二年ほど前にタチートとの関係がこじれたことは事実のようである。ヒュックは1979年、家族を国外に脱出させた後、所有していた農園から誘拐・殺害され、1994年に遺体で発見された。遺体はパジャマ姿のまま、後ろ手に縛られていたという。

主人公アリリオ・マルティニカが民衆裁判にかけられるくだりは、革命後、必ずしも旧ソモサ派とは言えない企業や私邸までをも接収の対象とし始めたFSLNのやり方を彷彿とさせる。それは、広場にFLSNの支持者を集め、誰それの私有財産を接収することの是非を問い、拍手や歓声をもって正当性を確保するというものである。むろん、コルネリオ・ヒュックは紛う方なきソモサ派であるから、その財産は政令に基づき申し分なく接収されたであろう。

ただし、接収された財産の行方は必ずしも明確ではない。不動産ロンダリングが横行し、国の登記制度や財産調査制度に大きな欠陥があるからだ。ヒュックがリバス県トーラ市内に所有していた美しい海辺の土地(作中名はサンタ・ロレナ)は近年、米国資本等によるリゾート開発候補地として脚光を浴びると同時に、名義がごちゃごちゃになっていることも露呈した。果たして、1980年代のサンディニスタ政権期に軍部から外国人投資家などを経てヒュックの遺族に買い戻されたのか、ボラーニョス政権期に公的部門持株会社(CPONRAP)からアレマン前大統領の関連会社に渡ったのか、依然として国有地なのか。同一の不動産に対し異なる不動産権の主張がある。

一方、マサヤ市の邸宅は市庁舎として使われている。2001年、そこに市長として初登庁したのは、ヒュックの孫のカルロス・イバン・ヒュックである。1994年、祖父の遺体埋葬のために一族の亡命先であるマイアミより帰国したカルロスは、ニカラグア政界でのしあがれると思ったのか、そのまま同国に留まった。そして、政治に関与してはならないという母親の以前からの言いつけに背き、一族の出身地であるマサヤの市長選に出馬し、当選を果たしたのである。そして任期満了から二年後の2008年、在任中の公金横領と不正蓄財で起訴される。

このように、汚職そして法治の欠如という、本作で描かれる権力の濫用の副産物は、今日もニカラグアに暗い影を投げかけている。


笛田千容
(東京大学大学院総合文化研究科北米・中南米地域文化講座助教)

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フィクションのエル・ドラード

ただ影だけ

セルヒオ・ラミレス/寺尾隆吉訳
装幀=宗利淳一デザイン
四六判上製/328頁/定価=2800円+税
978-4-89176-950-5 C0397 4月5日頃発売予定

小社より新たなラテンアメリカ文学シリーズ、
〈フィクションのエル・ドラード〉刊行開始!


アイロニーと距離感、内面性とユーモア。
セルヒオ・ラミレスは銅のような三面記事から
言葉と想像力で黄金を生み出す錬金術師だ。——カルロス・フエンテス


1979年、ソモサ独裁政権の崩壊を目前に控えたニカラグア、ソモサの私設秘書官として権力の影で活動していたアリリオ・マルティニカは海からの逃亡を企てるも革命軍に捕らえられ、独裁政権の悪行に加担した嫌疑で民衆裁判にかけられる……

証言、尋問、調書、供述、手紙。事実のなかに想像を巧みに織り交ぜ、鮮烈な描写と圧倒的な語りの技法のもとに、歴史的事件の裏側をフィクションの力で再構築する現代ラテンアメリカ文学の新たな傑作。

 

編集部から:「小島信夫批評集成」特典単行本

2013年 1月 31日

大変お待たせいたしました……!

kojima_curious32011年に小社より刊行した『小島信夫批評集成』(全8巻)の全巻ご購読者にもれなくお届けする特典『ふしぎな昂奮』が、ようやく完成いたしました! 本批評集成の逸文より、批評家/エッセイストとしての作家の魅力あふれる10篇を精選収録。140部の限定本です。申込みハガキ等でご登録いただいていたみなさまには、すでに書店様を通じて届いているかと存じます。ぜひ、ご賞玩ください。

このたびは刊行が遅れて誠に申しわけございませんでした。どうか引き続き小社刊行物にご注目ください。



小島信夫

ふしぎな昂奮

四六判並製80頁/輸送函入り/2013年1月発行
限定140部(各册ナンバー入り)

「あ」の会のこと/咲山三英『雲と水滴』を読んで/円空随想/読書会/様子を見ているということ/被写体/夏目漱石『門』/自己宣伝/その周辺/引用句への誘い

*函は輸送用のものですので、お取り替えはご容赦ください。
*本書は『小島信夫批評集成』全巻ご購読者のみにお頒けするもので、
一般書店等での販売や本書のみの販売はいたしません。
*万一未着の場合は、小社(tel. 03-3818-6040:営業部/ヤマグチ)まで
ご照会ください。ご確認のうえご連絡させていただきます。

 

公演情報

2013年 1月 31日

2月に以下の劇団の公演が東京・両国のシアターX(カイ)で行なわれます。
「オハイオ即興劇」「あしおと」「ゴドーを待ちながら」等ベケットの代表作をとりあげた評論集『サミュエル・ベケット!』(小社刊、3990円)を公演期間中販売しております。ぜひあわせて手にとってみてください。



あのアイルランドから、気鋭の劇団「マウス オン ファイア」初来日公演!
サミュエル・ ベケット作「オハイオ即興劇」「あしおと」「あのとき」「行ったり来たり」……消滅するまえに……

ベケット後期の作品を、作家自身が作成した演出ノートに基づき創出された4つの  “ 演劇詩 ” 。

公演期間:2013年2月13日〜17日

チケット 先着60席 限定! 1,000円!

http://www.theaterx.jp/13/130213-130217p.php

お問い合わせ:シアターX(カイ)
Webサイト:http://www.theaterx.jp/
メールアドレス:info@theaterx.jp
〒130-0026 東京都墨田区両国2-10-14
TEL:03-5624-1181 FAX:03-5624-1155

 

年末年始の営業と2012年の刊行図書一覧

2012年 12月 26日

12月の営業は28日(金)をもって仕事納めとさせていただき、
新年は1月7日(月)より営業させていただきます。
27日以降にご注文いただいた書籍については、
年明けの搬入となりますので、なにとぞご了承ください。
1年間、小社の刊行物をご愛読いただき、誠にありがとうございました。

年明け1月に配本となる『リモンの子供たち』で、
《レーモン・クノー・コレクション》もひとまず完結。
また、新シリーズ《ロックの名盤!》が、
『レッド・ツェッペリン Ⅳ』『アバ』を皮切りに始まりました。
その他、来年も水声社ならではの企画を準備中です。
どうぞお楽しみに!

なお、恒例になってきた2012年の刊行書籍一覧を以下に掲出します。
現在発売中の『図書新聞』(2013年1月1日号)に掲載されているものです。
年末年始の読書計画にお役立てくだされば幸いです(クリックで拡大)。
ブログの更新も本日かぎり(の予定)です。よいお年を!

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12月の新シリーズ:ロックの名盤!

2012年 11月 23日

Coming soon!

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『中村真一郎 青春日記』刊行記念 パネルディスカッション開催!

2012年 9月 5日

中村日記ジャケ入稿直し戦後文学を代表する文人・中村真一郎の、旧制第一高等学校在学中の日記を翻刻した『中村真一郎 青春日記』(小社刊)は、早熟なこの作家の読書遍歴はもちろん、福永武彦をはじめとする作家たちとの交友からプライベートの一面までを、まざまざと現代によみがえらせる超一級の資料として、各メディアで好評をいただいております。

そこで今回、この日記に描かれたさまざまな事象のなかから、とりわけ「旧制高校」という文化・思想・生活に着目して、中村真一郎の会国際日本文化研究センターの共催で、パネルディスカッションを開催いたします。ふるってお運びください。


パネルディスカッション

「『中村真一郎 青春日記』と旧制高校」

◎日時:2012年9月15日(土) 14:00~

会場:国際日本文化研究センター 第1共同研究室(地図はこちら→

【14:00~16:00】

基調報告:依岡 隆児(徳島大学教授・ドイツ文学)

パネリスト:粕谷 一希(評論家)、竹内洋(教育社会学)

コメンテイター:清水徹(フランス文学)

司会:鈴木 貞美

【16:00~17:00】

会場との質疑応答

◎懇親会:プログラム終了後、日文研レストラン「赤鬼」にて

◎共催:国際日本文化研究センター、中村真一郎の会

◎お問い合わせ :中村真一郎の会 tel. 03-5689-8410



【講師紹介】

依岡隆児(よりおか・りゅうじ)
1961年、高知県に生まれる。東京都立大学大学院人文科学研究科独文学博士課程中途退学、文学博士(東北大学)。現在は、徳島大学教授。専攻は、ドイツ文学。主な著書に、『ギュンター・グラスの世界』(鳥影社、2007年)、主な訳書に、ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』(集英社、2008年)、同『女ねずみ』(共訳、国書刊行会、1994年)などがある。

粕谷一希(かすや・かずき)
1930年、東京都に生まれる。東京大学法学部卒業。中央公論社に入社後、『中央公論』『歴史と人物』の編集長を歴任、同社退社後は『東京人』を創刊。現在は評論家、都市出版株式会社相談役。主な著書に、『内藤湖南への旅』(藤原書店、2011年)、『鎮魂 吉田満とその時代』(文春新書、2005年)、『中央公論社と私』(文藝春秋、1999年)など多数がある。

竹内 洋(たけうち・よう)
1942年、東京都に生まれる。京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。京都大学大学院教育学研究科教授、関西大学社会学部教授などを経て、現在は、関西大学東京センター長。専攻は、教育社会学。主な著書に、『メディアと知識人』(2012年)、『革新幻想の戦後史』(2011年、吉野作造賞。以上、中央公論新社)など多数がある。

清水 徹(しみず・とおる)
1931年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。明治学院大学名誉教授。〈中村真一郎の会〉幹事長。専攻は、フランス文学。主な著書に、『マラルメの〈書物〉』(水声社、2011年)、『ヴァレリーの肖像』(筑摩書房、2004年)、『書物について』(岩波書店、2001年)、主な訳書に、ルイ=ルネ・デ・フォレ『おしゃべり/子供部屋』(水声社、2010年)など多数がある。

鈴木 貞美(すずき・さだみ)
1947年、山口県に生まれる。東京大学文学部卒業。総合研究大学院大学博士。現在は、国際日本文化研究センター教授。〈中村真一郎の会〉常任幹事。専攻は、日本近現代文学。主な著書に、『日本語の「常識」を問う』(平凡社新書、2011年)、『日本人の生命観』(中公新書、2011年)『わび・さび・幽玄』(水声社、2006年)、『梶井基次郎の世界』(作品社、2001年)など多数がある。

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中村日記ジャケ入稿直し『中村真一郎 青春日記』

池内輝雄・傳馬義澄 編
翻刻=荒川澄子・安西晋二・石井佑佳・岡崎直也・河合恒・北原泰邦
A5判上製402頁/定価=5000円+税
ISBN 978-4-89176-908-6 C0095 好評発売中!


彷徨する魂。若き日の読書と交友

のちに《戦後派》の小説家、批評家、詩人として知られることになる
著者の筐底に秘められてきた旧制高校時代の膨大な日記の完全翻刻版
莫大な量の読書ノートにして福永武彦らとの交遊録でもある。
中村真一郎研究のみならず、近現代文学史を考えるうえで第一級資料

中村真一郎コレクション
既刊好評発売中(いずれも税抜き)

城北綺譚   1800円
日本古典にみる性と愛   2500円
全ての人は過ぎて行く  3000円

 

編集部から:『ナチスのキッチン』藤原辰史さんインタビュー

2012年 8月 6日

nazi_kitchen小社刊、藤原辰史著『ナチスのキッチン——「食べること」の環境史』は、おかげをもちまして、各紙誌で好評をいただいております。先にご紹介した 各新聞、ウェブサイトのほか、7月29日付の朝日新聞朝刊では、作家の 出久根達郎さん が書評してくださいました。日本の現実とも重ねてとらえた貴重な評言、ありがとうございました。全文はこちらをクリック→(

また、同27日付の 週刊読書人 さんの企画、「2012年上半期の収穫から」では、ドイツ文学者の 池田浩士さん が取り上げてくださいました。

「食生活という最も基本的な日常の営みに即して、ナチズムと国民との関係(流行語で言えば「絆」)」の在り方を描き出したユニークな研究。私たち自身の生き方を問い直すうえでも、刺激的なてがかりとなる」

と高く評価していただいております。池田さん、ありがとうございました。
そのほか、各ブログをはじめ、Twitter、Facebook 等の SNS でもご高評くださったみまさま、著者の藤原さんともども感謝しております!

アマゾンさんでは品切れが続いておりますが、小社の倉庫にも在庫がない状態です……。全国のリアル書店さん、ネット書店さんではまだ入手可能ですので、ぜひ、いまのうちにお求めいただければ幸いです。



なお、その『ナチスのキッチン』をめぐって、2つのインタビューが公開されました。

ひとつはすでに USTREAM 上で閲覧できるもので、渋谷でユニークなコミュニティを形成している「渋家」で収録されたものです。藤原さんのモティーフに、若いひとたちが斬り込んでいます。90分弱にわたるセッション、ぜひご視聴ください。こちらをクリック→(



そしてもうひとつ、『図書新聞』8月4日号に掲載された、ロングインタビューです。著者自身が語る、本書の非常に充実した解説になっています。今回、図書新聞さんのおゆるしをえて、以下に全文を転載させていただきます。転載をご快諾いただいたS編集長に重ねて御礼申しあげます!

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藤原辰史氏に聞く、『ナチスのキッチン』をめぐって

「台所」から見えたナチスの矛盾
「公衆食堂」が今後の面白い一つの拠点になるのではないか


▼藤原辰史著『ナチスのキッチン——「食べること」の環境史』
5・30刊、四六判452頁・本体4,000円・水声社


▼藤原辰史(ふじはら・たつし)氏:農業思想史、農業技術史専攻。東京大学大学院農学生命科学研究科講師。1976年北海道生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。主な著書に『カブラの冬』『ナチス・ドイツの有機農業』など。

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『ナチスのキッチン——「食べること」の環境史』。なんとも魅力的なタイトルである。「モーレツ社員」の時代なんかとっくに終わったのに、なぜまだ私たちは「瞬間チャージ」を喜び、石田徹也の絵に描かれるがごとき「燃料補給のような食事」を求めるのだろうか。本書の著者、藤原辰史氏に話を聞いた。(インタビュー日・6月28日。東京・神田神保町にて。聞き手・須藤巧〔本紙編集〕)


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◎人々を「未来へ、未来へ」と駆り立てるのがレシピ本

——本書には、タイトルからの予想に反して、実はナチスについて直接はあまり出てこないんですね。その代わりというわけではありませんが、19世紀後半から1945年までのドイツの「台所」におけるテイラー主義の導入と浸透の過程が跡付けられています。ナチスは「血と土」という、ある意味で「非合理的なもの」と、テイラー主義的な「合理的なもの」を奇妙なかたちで並立させていた。その奇妙な並立関係に台所という視点から迫っています。そうした発想のきっかけは何だったのでしょうか。


藤原:2008年に『食の共同体』(ナカニシヤ出版)という本を農学者仲間と共同執筆したのですが、きっかけは2005年に日本で食育基本法が成立したからでした。食を通じて児童・生徒を教育し、日本人の健康を保ち、日本の食文化を復興させ、更には農業を盛り上げていきましょうというような法律です。これに対して「気持ち悪いよね」と思った人たちが集まってつくったのが先の本です(笑)。私が担当したのは、ナチス時代の「主婦」政策だったのですが、そのときには台所についてなんて考えていませんでした。むしろ「食」の政策について考えていました。しかし、ナチス時代の「アイントプフ(雑炊)運動」や「無駄なくせ闘争」などを調べているうちに、「主婦」が毎日使っている台所という空間がどういうものだったのか知りたいと思うようになりました。

調べていくと、二つの方向が見えてきました。一つは、台所はゲルマン信仰として非常に重要な場所であるということです。台所の火をずっと守り続ける=家を守り続けることが、ゲルマン民族の根本だと。これは非合理的というか、神話的な話です。もう一つは、ナチス以前からずっと続いていた、台所のテイラー主義化・合理化・システムキッチン化です。ナチスにおいては、彼らが政権をとった1933年1月30日以前からの陸続きの部分が非常に多い。台所から見てもそう言えるんじゃないか。深い矛盾が、台所からも見えてきました。

——本書第4章は「レシピの思想史」と題されています。レシピの思想史なんて考えたことはありませんでした(笑)。

藤原:斎藤美奈子さんの『戦下のレシピ』(岩波アクティブ新書)という本があります。それを読んで、「レシピから歴史が書けるんだ!」と思ったんです。同じ発想でナチスを論じたいと思っていたんですが、具体的にドイツのどこにレシピが眠っているかわからなかった。図書館にもあるのですが、所蔵されている版が飛び飛びだったりして、系統的にレシピの変遷を追うことができませんでした。ここで役だったのが古本屋です。大きめの古本屋には「Kochbuch」(料理本)の棚があり、これを収集しながら穴を一つ一つ埋めていきました。ただ最初は、読んでみても、図がなかったり食材の意味が分からなかったりして、料理をイメージしにくかった。そこで、「はじめに」だけを拾い読みしてみました。すると、途端に面白くなった。一九世紀のベストセラーには、「料理とは、夫の愛を繋ぎ止めるための手段である」と書かれている(笑)。しかし、時代を追うにつれて、料理の目的が「夫を振り向かせる」ことから「家族の健康を守る」ことに、そしてナチ時代の末期には「機械になること」が推奨される。そうすると、私の頭の中に漠然とあったドイツ思想、もしくはヨーロッパの歴史の流れとは少し違ったものが見えてきたのです。

——そうしたレシピを読んでいくと、レシピは「人びとの未来の食生活の理想を表わしている」(p.262)と言えるという一節があります。これは膝を打つ指摘です。それから、ナチ時代には、アメリカ式の大量生産を夢見て、自動車(フォルクスワーゲンVolkswagen)やミシンなど、企業が開発しようとした消費財がたくさんあったんですね。その一つに「民衆冷蔵庫」があります。これは結局実現しませんでしたが、このような「ほとんど存在しない消費財」、つまり「実現はしなかったけれども、人びとの心にはある種の現実として映ったかもしれない〈未来〉の問題」(p.341)に、藤原さんは言及されています。「過去」を読むと「未来」が見えてくるというのはとても面白いですね。

藤原:でも、最初にレシピを読んだときにはそうした発想はなかったんです。レシピから、当該の時代の食生活の反映が見られればと思っていました。19世紀から20世紀への世紀転換期にはドイツで肉食がすごく増えていたので、レシピを見ても肉食が増えているに違いないという程度に考えていたんです。しかし、統計をとってみると野菜レシピが増えている。また「当時、こんなものは食べなかっただろう」とか「この階級の人がこんな派手なものを食べようと思わなかっただろう」とか、相当現実離れしたレシピも多かった。そして、現在もそうかもしれませんが、レシピ本を書く人ってテンションが高いんです。今現在の人々が食べているものを写生して「はい、どうぞ」と見せるレシピ本はつまらない。何か発明したり、考えもつかなかったような食材の組み合わせでつくった料理をみんなに紹介したいという高い欲求があるからこそ、現在でもレシピ本というジャンルは成り立つんだと気づきました。実際にナチ時代のレシピを見ると、当時の人では到底買えないような、ジーメンスなどの電器企業の道具をバシバシ使っている。しかもレシピには企業の広告が入っている。この道具を使えばこんな立派な料理がつくれて、そうすればこんな立派な家庭をつくれて、生活がもっと豊かになるよと。つまり、人々を「未来へ、未来へ」と駆り立てるのがレシピ本だということが見えてきました。

これはナチス研究をするにあたっても重要な視点です。「ナチスがやったこと」、ナチス時代の社会の「現実」を、多くの先行研究は研究してきました。もちろんそれはたくさんのことを明らかにしましたが、「やろうとして失敗したこと」とか、未来を担保にして人々にドイツの現実を「生きさせていた」政権がナチスだったということを、レシピを通して主張したかったんです。

◎「不穏な場所」としての台所に可能性がみえる

——本書において、女性、母、「主婦」の位置はどうなっていますか?

藤原:第1章第2項の「ドイツ台所外史——〈キッチンの集団化〉という傍流」では、社会主義者だったアウグスト・ベーベルと、彼に感化された女性運動家のリリー・ブラウンという二人を取り上げました。特にリリー・ブラウンは、アメリカのテクノロジーを間近に見てしまって、「これで女性を救うことができる」と思った。なぜなら、これだけのテクノロジーがあれば、一つの集合住宅に一個のキッチンを設置して大きな機械を入れてしまえば、「主婦」の労力は相当少なくなるし、あるいは「主婦」が家事労働をしなくても、誰かを雇ったり、交代で家事をしたりすれば、女性は解放されるんじゃないかという発想——現在でもあるシェアハウスの発想ですね——が19世紀の終わりごろに社会主義者から提出された。これは興味深いと思いました。現在でもこの発想が続いていれば面白いと思いましたが、しかしこれは、集団食堂のようなかたちで、第一次世界大戦中、必要やむを得ず人びとに利用されたに過ぎなかった。大戦が終わるとまた台所のプライベート化が進みます。アメリカのテクノロジーは参照しますが、「1家族・1台所」で、各家庭に「主婦」がペタッと貼りついていく。この過程の中に消えていった歴史を救い上げたいという思いはありました。少なくともそこには「女性解放」の理念がありました。社会主義者たちによる「主婦」の解放史の中に、「主婦」の台所仕事を軽減する、あるいはゼロにしようとする運動があった。台所を変えることによって、女性の位置づけを変えようとしていたんですね。

本書でかなりページを割いて紹介した人物に、シュッテ=リホツキーという共産主義者の建築家がいます。彼女は、テイラー主義に感化され、女性を解放するために「フランクフルト・キッチン」、つまりシステムキッチンの原型を設計したのですが(スターリンのソ連でも活躍しました)、それは現在の私たちのキッチンにも導入されていますよね。では、それによって「主婦」は解放されたのでしょうか。ある程度はそう言えるでしょう。「チン」一つで調理が終わったりしますから。しかし、それと引き換えに何が起こったでしょうか。台所が市場化し、企業がそこにモノを売りまくって、家計が厳しくなり、結局「主婦」たちは「夢」を見るけれども、台所器具を買うために働きにいったり内職をしたりする。そのまま現代に至っている気がするんです。あるところまでは「主婦」の解放であった一見まっとうなものが、企業や国家によって、悲しいかたちでまた女性を縛っていく。

——先に台所における信仰の話が出ましたが、もう少し詳しく聞きたいのですが。

藤原:ある集団の中で、ある人間が包丁を握っている。うまくやれば、それで集団の権力者を殺してのし上がることもできる(極端に言えば、ですけど)。そして台所では、食べ物を人間の胃袋に収めるために水や火などあらゆる手段を使って、「あらぶる自然」としての食べ物を刻んだり焼いたり引き裂いたりします。血や体液が飛び散り、細菌もウヨウヨ。だから台所は、本当はグロテスクで危険な場所で、現在でも管理しきれていないのです(火の取り扱いもそうです)。そういう場所には古くから信仰がありました。農業でもそうですよね。作物を収穫したら、神様に捧げ物をする。自然と人間が厳しく対峙するところには必ず信仰が生まれます。台所の信仰はドイツにもありましたが、これが近代になってまったく違うものになっていく。その最たるものが、繰り返しになりますがテイラー主義です。あるいは栄養学や家政学。それらの言葉で書かれたレシピは、しかしいつまでたっても、料理の一番奥にあるもの、一番面白くて難しい部分をまったく説明してくれません。

——さて、本書には読みどころが多数ありますが、10ページほどの「〈食べること〉の救出に向けて——あとがきにかえて」には驚きました。食をめぐる状況を考えるときに、極論かもしれないけれども、強制収容所に入ったいわゆる「囚人」と「主婦」は、真逆に見えるが、似ているのではないかという主張です。どうしてそうなったのか。藤原さんは、それは資本主義の問題に尽きると述べます。では、どうしたらいいのか。


藤原:私は、「公衆食堂」が、今後の面白い一つの拠点になるのではないかとずっと考えてきました。テイラー主義なり合理化なり企業なり国家なりが、奥の奥まで手を伸ばしたけれども、まだ管理しきれないのが台所という場所です。そういう場所があること自体が、私には面白いんです。例えば巨大なショッピングセンターのような均質化された場所でも、フードコートのような「朗らかな」場所がポコッと出てくる。「穴を開ける」までは行かなくても、均質化された四角い空間を少しずつ「腐らせ」たり「曲げ」たりしていくのは、やはりそうした食事をつくって食べる場所だろうと思うんです(とはいえ、フードコートには欲望の塊のようなファストフードのチェーン店が多いですけど)。そこでは少なくとも食に対する疑問や不満を共有できる。

そして共に食べることを通じて、食が商品化されているということ自体を問うていかなければならないと思っています。農地を公衆食堂につなぐこともできる。つくった場所と食べる場所がわかる食堂になれば、そこにいろんな人が集まってくる。食べるだけの人やつくるだけの人がいてもいい。「個食」にこだわる人がいてもいいんです。あるいは家族で食べに来たっていい。何かにすがらないと落ち着かない、不穏な場所としての台所の、その不安定さ加減こそが、私には逆に可能性にみえるんです。(了)

Courtesy of Tatsushi Fujihara and TOSHOSHIMBUN.

 

7月の新刊:『〈フランス〉の誕生』

2012年 7月 18日

e38395e383a9e383b3e382b9e381aee8aa95e7949f_cover〈フランス〉の誕生——16世紀における心性のありかた

高橋 薫
A5判上製/576ページ/定価=8000円+税
ISBN 978-4-89176-891-1 C0070 7月25日頃発売予定

*店頭で見つからない場合はご注文ください。


〈フランス〉のひとびとは、なぜ王国の統一をめざしたのか。
統一は、なぜ可能であったのか。


ルネサンス後期のフランスの庶民、王侯貴族、文学者などの心性を、
ロンサール、モンクレチアン、フェビュス、オリヴィエなどの作品をひきつつ
動乱の時代を生きたひとびとの日々を暮し方から考察する。


目次

はしがき

第1部    アイデンティティの模索
第1章 16世紀フランス短話集に見られる他郷との接触について
第2章 ロンサール・自然・フランス

第2部    王権の発見
第3章 16世紀フランス人文主義悲劇に見られる君主像とその周辺
——ラザール・ド・バイフからアントワーヌ・ド・モンクレチアン
第4章 鹿の軛脚を王に捧げる——儀式とならなかった儀式

第3部    信と不信の間で

第5章 「迷信」妄想

註/結び


《関連書》
歴史の可能性に向けて——フランス宗教戦争期における歴史記述の問題
高橋薫  8000円+税

 

「ヘンリー・ミラー生誕120年記念展」開催中!

2012年 7月 12日

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代表作『北回帰線』や問題作『セクサス』など、文豪の全体像を知るうえで
もっとも充実したテクストとして、好評発売中の『ヘンリー・ミラー・コレクション』
そのヘンリー・ミラーの回顧展が、東京・青山の スパイラルガーデン で開催中です。
小社もご協力させていただいており、入場無料です。
ぜひ、ミラーのもうひとつの側面をお楽しみください。


アメリカの文豪ヘンリー・ミラーの生誕120年を記念し、
ミラーの最後の妻として知られるホキ徳田氏が中心となって、
展覧会を開催します。

この展覧会では、ミラーが趣味で描いていた
水彩画、写真、手書きの原稿、手紙、映画や展覧会のポスター、
掲載誌や新聞の切り抜き、手作りのコラージュなど、
日本未発表のものも含め多数展示し、
「文豪ヘンリー・ミラー」とは違う一面をお届けします。

また展示期間中には、
毎晩18:00〜20:00に日替りミニライブを開催いたします。

◆イベント概要
会期:2012年7月3日(火)〜7月16日(月・祝)11:00〜20:00
会場:東京都港区南青山5-6-23スパイラルガーデン(スパイラル1F→
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23 スパイラル1F(地図はこちら→
入場料:無料
主催:ヘンリー・ミラー展実行委員会
ヘンリーミラー・メモリアルバー「北回帰線」
特別協賛:大木製薬(株)、InterFM 76.1MHz
協賛:(株)日本エスカレーター広告協会、(株)光伸プランニング、
(社)日本旅行作家協会、港区観光協会、(株)シバヤマ
協力:(株)水声社、(株)文遊社、Cómo le va?、DIC(株)、
(株)アンドモア、月刊誌『正論』
楽器協力:ヤマハ(株)
監修コーディネイト:ホキ徳田/企画プロデュース:川幡浩
会場協力:(株)ワコールアートセンター
お問い合わせ:北回帰線(キタカイキセン→) TEL:03-5474-3900

 

『ナチスのキッチン』重版決定!

2012年 7月 11日

ナチス時代の台所、家事労働、レシピ、エネルギーを通して
現代社会を問い直す、貴重な成果。重版決定!

とうとう小社からも1冊もなくなり、
在庫確認のお問い合わせにもお応えできなかった
藤原辰史さんの労作、『ナチスのキッチン——「食べること」の環境史』は、
みなさまのご声援のおかげで重版が決定しました。

7月19日(木)出来予定となっております。
ご注文いただいている分から、順次出荷いたします!


amazon.co.jp ではひさしく品切れ状態が続いておりますが、
全国の大型書店店頭、もしくは他のネット書店にはまだ在庫がございます。
初版をお求めの方は、いまのうちにそちらへお急ぎください!




“今日われわれの食卓は、ナチスの呪縛からどれだけ離脱できているだろうか”
——原克さん(ドイツ文学)、日本経済新聞 7/8付

“人間らしさを失うことの落とし穴について考えさせる”
——「記者が選ぶ」欄、読売新聞 7/8付

“〔著者の試みは〕大きな武器と勇気を与えてくれる”
——三浦丈典さん(建築家)、産經新聞 7/1付


Web上では、このブログでとりあげられると
人文書の売上げが1ケタ(以上?)変わるという月曜社・小林さんの
「ウラゲツ☆ブログ」が紹介してくださったのを皮切りに
(こちらをクリック→)、その後も続々と紹介されました。

レヴュウサイト「HONZ」の土屋敦さんの書評がTwitter などで話題騒然!
本書掲載のレシピを用いて実際に料理してしまったという衝撃のレヴュウが、
ネット住民の度肝を抜きました。(

また、本書で論じられている「公共キッチン」に着目して、
実際に著者の藤原さんを渋谷のシェアハウスにまで連れて行った、
という本が好き! Bookニュース」ナガタさんのレヴュウ。(

さらに、紀伊國屋書店の「KINOKUNIYA 書評空間」では、
早瀬晋三さん(歴史学)が、400字詰め原稿用紙1,000枚近くになる
本書の魅力を、手際良くまとめてくださいました。(

そのうえ、7月28日発売予定の 図書新聞 では著者インタビューを掲載予定!
本書をめぐって著者の肉声が語られるインタヴュウになっています。乞うご期待!

そして、まさに書店配本日の5月31日、ジュンク堂書店池袋本店で
おこなわれ、大盛会の裡におわった刊行記念トークセッションの模様も、
Youtube 等で全編が視聴可能です()。藤原さんとの対話のために
京都からお越しくださったのは、山室信一さん(政治史)。
本書の裏話などが話題満載の90分、ぜひご覧になってみてください。

この本は、ナチス時代の「台所」を歴史的・空間的に読み解きながら、
日本の「現在」が浮かびあがってくる、文字通りの必読書です。
3/11 以降のわたしたちの生活・文化・社会を考えるうえでも示唆的なので、
ぜひ、ひとりでも多くのかたに手にとってもらいたい、と切望しています。


nazi_kitchenナチスのキッチン 「食べること」の環境史

藤原辰史
四六判上製456頁/定価 4000円+税
ISBN 978-4-89176-900-0 C0022 5月31日発売


ヒトラーから《食》を奪還せよ!

いま、もっとも重要な《食》と《エネルギー》の問題を
ファシズムの視座から考える出色の1冊!


ナチスによる空前の支配体制下で、
人間と食をめぐる関係には何が生じたのか?
システムキッチン、家事労働から、食材、
そしてエネルギーにいたるまで、
台所という《戦場》の超克を試みた、
来るべき時代への《希望の原理》。
新発見の事実や貴重なレシピをはじめ、
未刊行資料・図版などを多数収録。

《どうして、「食べること」はここまで衰微して
しまったのだろうか。どうして、強制収容所という
私たちの生活世界からもっとも遠いところの現象が、
こんなにもリアルに感じられるのだろうか?
——これは、端的に言ってしまえば、
この世界が、ナチズムと陸続きだからである》



目次—————

序章 台所の環境思想史
歴史の基層としての台所/テイラー・システムとナチズム/
台所の変革者たち/台所をどうとらえるか

第1章 台所空間の「工場」化  建築課題としての台所
ドイツ台所小史/ドイツ台所外史/第一次世界大戦の衝撃/
フランクフルト・キッチン/考えるキッチン/ナチス・キッチン?/
労働者約一名の「工場」

第2章 調理道具のテクノロジー化  市場としての台所

電化される家族愛/台所道具の進歩の背景/マニュアル化する台所仕事
市場化する家事/報酬なきテイラー主義の果てに

第3章 家政学の挑戦
家政学とは何か/家政学の根本問題/家政学の可能性と限界
家政学のナチ化/家政学の戦時体制化/家政学が台所に与えた影響

第4章 レシピの思想史
ドイツ・レシピ少史/読み継がれる料理本/企業のレシピ/
栄養素に還元される料理

第5章 台所のナチ化  テイラー主義の果てに
台所からみたナチズム/「第二の性」の戦場/「主婦のヒエラルキー」の形成/
無駄なくせ闘争/残飯で豚を育てる/食の公共化の帰結

終章 来たるべき台所のために
労働空間、生態空間、信仰の場/台所の改革者たちとナチズム/
ナチスのキッチンを超えて

「食べること」の救出に向けて  あとがきにかえて

付録1 ベストセラーの料理本
付録2 ダヴィディス著『実用的料理本』の版別レシピ構成
付録3 ハーン著『実用的料理本』の版別レシピ構成

註/参考文献/人名索引

 

7月の新刊:『絵を書く』

2012年 7月 10日

e7b5b5e38292e69bb8e3818f_cover絵を書く

マリアンヌ・シモン=及川 編
A5判上製/288ページ/定価=4000円+税
ISBN 978-4-89176-906-2 C0090 7月13日頃発売予定



テクスト×イマージュ 炸裂する創造空間!

19世紀から現代までの芸術家/作家たち
(フロマンタン、ゾラ、ミショー、バルト、レリス……)は
言語とイマージュを通して、あるいは言語とイマージュの狭間で
どのような表象を生み出したのか。日仏の気鋭の研究者たちが、
秘められた〈創造〉の核心に迫る。[図版多数収録]

【執筆者】
マリアンヌ・シモン=及川 +アンヌ=マリー・クリスタン+
アルレット・アルベール=ビロー+イヴ・ペレ+千葉文夫+桑田光平+
寺田寅彦+フロランス・デュモラ+塚本昌則+アルメル・ルクレル


【目次】


まえがき/マリアンヌ・シモン=及川

I
・ ウージェーヌ・フロマンタン、作家にして画家/アンヌ=マリー・クリスタン
・ 造形芸術からエクリチュールへ
——文学以前のピエール・アルベール=ビロー/アルレット・アルベールービロー
・ アンリ・ミショー、エクリチュールと絵画の間で/イヴ・ペレ

II
・ ミシェル・レリスの肖像——アンドレ・マッソンの場合/千葉文夫
・ ベルナール・ノエル——画家の背後からの視線/マリアンヌ・シモン=及川
・ メディウムとしての写真——『明るい部屋』をめぐって/桑田光平

III
・ 自然主義作家が見せてくれるもの/寺田寅彦
・ 夢を描写する——アロイジウス・ベルトランと「心理学者」たち/フロランス・デュモラ
・ デッサンの度合い——ヴァレリーにおける夢の詩学/塚本昌則

IV
・クリストフ・ラミオ・エノスの詩における視覚的仕掛け/アルメル・ルクレル

 

7月の新刊:『スクール・アート』

2012年 7月 10日

schoolart_coverスクール・アート——現代美術が開示する学校・教育・社会

中川素子 著
A5判上製/232ページ+別丁カラー図版16ページ/定価=2800円+税
ISBN 978-4-89176-909-3 C0070 7月10日頃発売予定




現代美術は「学校」と「教育」をどのように表現してきたのか?

〈こどもたち〉と〈教育〉の現状を鋭く、ときにユーモラスに表現した
美術作品をよみとき、学校・教育・社会のあるべき姿を「美術」と「教育」の
接点からさぐる画期的な書き下ろし評論。[図版多数収録]

【本書に登場する美術家たち】
浅田政志、倉重迅、澤田知子、鉢&田島征三、石田徹也、藤阪新吾、
ジェームズ・ローゼンクイスト、タデウシュ・カントル、土門拳、
ピーター・ベラーズ、豊嶋康子、島田寛昭、河口龍夫、みかんぐみ、山本高之

【目次

まえがき

第1章 思い出やつながりとしての教育空間
第2章 教室の中の無気力な子どもたち
第3章 子どもたちに落ちる世界の影
第4章 システムとしての教育, そのずらしと崩し
第5章 教育とは「引き出すこと」

あとがき


【関連書】
『ブック・アートの世界——絵本からインスタレーションまで』
(中川素子+坂本満篇)  3000円

 

『FBI vs ジーン・セバーグ』関連イベント

2012年 6月 21日

1突然ですが、来たる今週24日(日)、
ミュージシャンで音楽評論家の
サエキけんぞうさん がプロデュースする
一大イベント《ゲンスブール・ナイト2》で、
小社から評伝『ジーン・セバーグ』(2011)、
『FBI vs ジーン・セバーグ』(2012)の2冊が刊行された、
アメリカ/フランスで活躍した女優、
ジーン・セバーグ(1938-1979)のトークセッション開催決定!


サエキけんぞうさんの対話相手をつとめてくださるのは、
女優で映画評の筆もとられる 水島裕子 さんです。

開催まであとわずかに迫ってしまいましたが、
フランス大使館後援で一日じゅう踊りまくれるこのイベント、
みなさま、ふるってお運びください!
当日は、小社の営業部が物販もします!

詳細は以下の通りです。

ゲンスブール・ナイト2012の その2 が決定しました!
今回は、フランス大使館の後援を得て、徹底的にやります!
後続発表のイベント内催しもあります!ぜひぜひ!

ゲンスブール・ナイト2012 その2
「SLOGAN TOKYO」

2012年6月24日(日)
15時30分開場 16時開演 22時頃終演予定
後援:フランス大使館
料金:前売り:予約 \3000 当日 \3500 別途 DRINK 700円
会場:六本木スーパーデラックス

スーパー・デラックス 〒106-0031 東京都港区西麻布3-1-25-B1 F
tel 03-5412-0515/fax 03-5412-0516

https://www.super-deluxe.com/

日比谷線/大江戸線、六本木駅より六本木通り沿いを西麻布方面へ徒歩5分

【ライブ】
中塚武(acoustic set)
Baguette Bardot meets 秘宝感
SHOKO(AcoG)(Gt : Hideki Kaji, Fl&Sax Nari)
日比谷カタン
野田幹子
サカイレイコ
elect-link
田ノ岡三郎
サエキけんぞうとClub Je t’aime
DJ:ラファエル・セバーグ(UNITED FUTURE ORGANIZATION)
きうぴい
<ゲスト>いまみちともたか

【トーク】
女優ジーン・セバーグ頌 サエキけんぞう/水島裕子

—-

fbi_sebergFBI vs  ジーン・セバーグ——消されたヒロイン

ジーン・ラッセル・ラーソン+ギャリー・マッギー
石崎一樹訳
四六判並製288頁+別丁図版8頁/定価 2500円+税
ISBN 978-4-89176-901-7 C0074 好評発売中



ヌーヴェルヴァーグのトップ女優は、

「政治」に謀殺されたのか?

FBIの秘蔵資料や関係者の証言を駆使して、
個人と国家権力の相剋を描く、迫真のドキュメント。


世界が激しく揺り動いた60年代末、
ブラックパンサーとFBI=J・エドガーとの
激しい政治闘争の渦中を生きた
ジーン・セバーグの後半生に焦点を絞り、
多くの資料によってその生き様を浮き彫りにする。

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seberg_coverジーン・セバーグ

ギャリー・マッギー 石崎一樹訳
四六版並製/2段組452ページ/定価3500円+税
ISBN 978-4-89176-820-1 好評発売中!