6月の新刊:オイディプスの墓——―悲劇的ならざる悲劇のために

2019年 5月 28日 コメントは受け付けていません。

オイディプスの墓 書影オイディプスの墓
悲劇的ならざる悲劇のために
ウィリアム・マルクス(著)
森本淳生(訳)

判型:四六判上製
頁数:312頁
定価:3500円+税
ISBN:978-4-8010-0396-5 C0098
装幀:Gaspard Lenski
6月中旬頃発売!

ギリシア悲劇はほんとうに「悲劇的」だったのか?――
《悲劇は〈場所〉をめぐる物語である。悲劇はこんにち理解される「悲劇」の〈概念〉を意味していない。悲劇は観衆の〈身体〉に働き治癒する力をもつ。悲劇は宗教的に〈神々と英雄たち〉を舞台に受肉化させる。》
ギリシア悲劇にそなわる以上の4つのテーゼを明らかにすることで、ほぼ完全に失われてしまったギリシア悲劇をめぐる近代的誤謬から本来の悲劇を救う〈不可能な〉試み。

ギリシア悲劇は私たちといかなる接点を持つのか。接点などなにもない。私たちにとってギリシア悲劇は完全に無縁なものである。そうであるほかないだろう。しかしそれでもギリシア悲劇は、あらゆる予期に反して、私たちに感動と力を与えつづけている。(…)私たちではないものによって、私たち自身についての知識を深めること。文学としてはまったく捉えられぬものによって、文学を捉えること。これが、悲劇の力であり、その墓なのである。「序章」より


目次

日本語版への序文 異質なるものの教え

序章 ギリシア悲劇は私たちといかなる接点を持つのか?

プロロゴスとパロドス 境界石と侵犯  

第1章 場所
借景のある舞台/失われた場所を求めて/オイディプスのふたつの記念碑の謎/ギリシア「文学」は存在しない/能とのアナロジー/京都のオイディプス/アリストテレスと決着をつけるために/逢坂山にて/アッティカの平野にて/《サモトラケのニケ》としての悲劇の肖像

第1および第2エペイソディオン 神託と自由  

第2章 概念
ジョージ・W・ブッシュによる悲劇性の概念/アリストテレスにおける悲劇性の概念のはじまり/哲学的悲劇性の概念/ニーチェによる偽の断絶/一貫性を欠く悲劇性の概念/偉大なる悲劇作家ラビッシュの肖像/幸福な悲劇の問題/悲劇性の解釈学的循環/エウリピデス問題/悲劇の資料――災厄と歪曲の歴史/エウリピデスの「アルファベット順配列」――悲劇が私たちに教えてくれること/『オイディプス王』を忘れること/ストア派的着想の悲劇選集/レヴュー・ショーとしての悲劇

第3、第4、第5エペイソディオン 恐れと憐れみ

第3章 身体
ポスト悲劇時代の思想家アリストテレス/カタルシスの/憐れみと恐れに由来する快/感情の生理学/謎の解決と確証/前カント的美学/身体の否認/文学と身体/フロイトとカタルシス

第6エペイソディオンおよびエクソドス 死と変容  

第4章 神
純粋理性へと還元された悲劇/コロノスのふたつの墓/オルレアンにおけるオイディプス/ソポクレスによる福音書/悲劇とエクスタシー/一五八三行をめぐる闘い/ケンブリッジその他の祭祀派と反祭祀派/「ディオニュソスとはなんの関係もない」/英雄的神明裁判/墓としての悲劇/「山羊の歌」から『神の子羊』へ

エピロゴス 説明不可能なものについて

原註
人名索引
訳者あとがき

著者について
ウィリアム・マルクス(William Marx)
1966年、ヴィルヌーヴ=レザヴィニョン(フランス)に生まれる。現在、パリ第10大学教授。2019年、コレージュ・ド・フランス教授(比較文学)に選出される。専攻、比較文学。主な著書に、『文人伝』(本田貴久訳、水声社、2017年)、『文学との訣別――近代文学はいかにして死んだのか』(塚本昌則訳、水声社、2019年)、Un savoir gai(Minuit, 2018)などがある。

訳者について
森本淳生(もりもとあつお)
1970年、東京都に生まれる。現在、京都大学人文科学研究所准教授。専攻、フランス文学。主な著書に、『小林秀雄の論理』(人文書院、2002年)、主な編著に、『〈生表象〉の近代』(水声社、2015年)、主な訳書に、J・ランシエール『マラルメ セイレーンの政治学』(共訳、水声社、2014年)などがある。

ウィリアム・マルクスの本
文人伝――孔子からバルトまで/本田貴久訳/3200円+税
文学との訣別――近代文学はいかにして死んだのか/塚本昌則訳/4000円+税

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