7月の新刊:没入と演劇性——ディドロの時代の絵画と観者

2020年 7月 16日 コメントは受け付けていません。

没入と演劇性 書影没入と演劇性
ディドロの時代の絵画と観者
マイケル・フリード(著)
伊藤亜紗(訳)

判型:A5判上製
頁数:374頁
定価:5000円+税
ISBN:978-4-8010-0506-8 C0070
装幀:Gaspard Lenski
7月28日頃発売!

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観者の不在という究極の虚構
観者の存在を前提とするミニマリズム作品を批判した概念として名高い「演劇性」は、18世紀のフランス絵画の成立条件に関わる根本的な問題として登場した。画家たちの様々な試みを見るとともに、ディドロに代表される当時の美術批評家の言説を読み解きながら、いかにして観者という存在のあり方が問題視されるようになったのか、その理論的枠組を大胆に提示する。

ディドロの絵画観は、突き詰めると、観者は存在しない、観者は本当の意味ではそこに、画布の前に立ってはいない、という究極の虚構に立脚している。そして、絵画のうちにそうした虚構を打ち立てようとするならば、行為と情熱をドラマ的に描き表すこと、そしてそれに伴って生じる因果関係によって瞬間的に見てとれる単一性=統一性(ユニティ)のあり方というものが、利用可能な手段のなかでも最良のものだったのだ。(本文より)



目次

はしがき

第一章 没入の優位
第二章 究極の虚構に向かって
第三章 絵画と観者
補遺A 単一性、即時性、および関連するグリムの発言
補遺B 関連する二つの文章――ルソーの『演劇についての手紙』とゲーテ『親和力』
補遺C ダヴィッドによる二つの素描《ホメロス》(一七九四)について

訳者あとがき  

訳注
原注 
図版一覧 
人名索引 

著者について
マイケル・フリード(Michael Fried)
1939年、ニューヨークに生まれる。アメリカを代表をする美術批評家・美術史家。ジョンズ・ホプキンズ大学名誉教授。主な著書には、本書とともに三部作を構成する、『クールベのリアリズム』(1990年)、『マネのモダニズム』(1996年)や、『カラヴァッジョの瞬間』(2010年)などがあり、論文集には、『芸術と客体性』(1998年)、『なぜ写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』(2008年)などがある。

訳者について
伊藤亜紗(いとうあさ)
1979年、東京都に生まれる。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻、美学・現代アート。現在、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター/リベラルアーツ研究教育院准教授。主な著書には、『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社、2013年)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書、2015年)、『どもる体』(医学書院、2018年)、『記憶する体』(春秋社、2019年)などがある。

関連書
カドミウム・イエローの窓――あるいは絵画の下層 ユベール・ダミッシュ/4000円+税
ドナルド・ジャッド 荒川徹/3000円+税
静かに狂う眼差し 林道郎/2500円+税


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