第2回 フィクションと文学:はじめに

目次
はじめに――フィクション論の現在──ジャン=マリー・シェフェール『なぜフィクションか?』をめぐって
① 小説論ではないフィクション論
② フィクションと事実の区別
③ フィクションと現実の境界をずらす
④ フィクションと夢




はじめに――フィクション論の現在──ジャン=マリー・シェフェール『なぜフィクションか?』をめぐって(発表者:久保昭博)

「文学としての人文知」第2回の研究会は、フランス文学研究者久保昭博先生をお招きし、2019年11月22日(金)早稲田大学文学部で開催されました。
久保昭博先生は、京都大学人文科学研究所で長年おこなわれてきたフィクション論、文学理論の研究プロジェクトで、中核メンバーの一人として活躍されてきました。『フィクション論への誘い──文学・歴史・遊び・人間』(大浦康介編、世界思想社、2013年)、『日本の文学理論──アンソロジー』(大浦康介編、水声社、2017年)等を通してそのご活躍の一端を見ることができます。

今回取りあげるジャン=マリー・シェフェール『なぜフィクションか?──ごっこ遊びからバーチャルリアリティまで』(久保昭博訳、慶應義塾大学出版会、2019年)は、フィクション論の流れにひとつの重要な標識を立てる、画期的な書物です。原書の出版は1999年、この著作の重要性が認識され、この本固有の翻訳上の困難を乗りこえて日本語訳が出版されるまで、20年という歳月がかかったこと自体に、時代の変化が反映されているように思われます。

その変化とは、フィクション論(虚構論)が物語論から切り離されてゆくという、議論の基盤そのものに関わる事態です。1990年代までは、虚構とは何より物語であるという考え方が、暗黙の前提として共有されていたのではないでしょうか。ロラン・バルト『物語の構造分析』、ケーテ・ハンブルガー『文学の論理』、ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』、リクール『時間と物語』など、思いつくフィクション論は物語、とりわけ小説の理論化を目指していました。フィクションに対する見方がどれほど精緻なものになっても、その背景には次のような考え方があったと思われます。現実は、不定形で意味の掴みがたい出来事の連鎖だが、物語はそこに始まりと終わりをあたえ、それによって現実に有機的な意味を見出すことを可能とする、それゆえ、物語という虚構は、世界におけるわれわれの生き方そのものであり、理解可能な世界の構築をめざす共同体の作業を開始するものである──人間の認識のあり方の根底に、このように物語世界を見出していく姿勢が、さまざまな形で理論化されてゆくフィクション論の背景にあったのではないでしょうか。

それに対してシェフェールの『なぜフィクションか?』は、そもそも小説や物語が分析の素材として取りあげられていません。取りあげられる文学作品はヴォルフガング・ヒルデスハイマーの『マーボット。ある伝記』であり、虚構の伝記作品が歴史上実在した人物の伝記として解釈されたメカニズムが分析されています。シェフェールは、小説、物語という枠組みを離れ、映画、演劇、ゲーム等の芸術の他ジャンルを探究するだけでなく、世界を知覚し、理解するメカニズムそのものに虚構の働きを見出しています。模倣し、虚構を構築する心的能力によって、人は幼児から大人にいたるまで、世界への認識を深めてゆくというのです。物語という視点からではなく、フィクションという人間に備わった心的能力によって、人間が認識し、判断し、行動するメカニズムを探究しようというのです。これは物語論を基盤としない、人類学の視野から論じられたフィクション論と呼べるでしょう。

シェフェールは、フィクションという心的能力を「共有された遊戯的偽装」と定義していますが、この定義にどのような射程があるのでしょうか。そもそもこの定義はどのような背景から現れたのでしょうか。久保昭博先生は、人類学の視野から論じられるフィクション論がどのようなものなのかを、フィクション論に関する幅広い知識をもとに講じてくださいました。文学理論を人類学のほうへ開く議論は、文字通り境界領域での議論であり、戸惑う部分が数多くあります。久保先生はシェフェールの本が、フィクション論という文脈のなかでどのように位置づけられるのかを明らかにすることで、問題のポイントがどこにあるのかを示してくださいました。その研究はシェフェールの紹介にとどまらず、フランソワーズ・ラヴォカが主催するSIRFF(Société internationale de recherches sur la Fiction et la Fictionnalité、フィクションとフィクショナリティ研究国際学会)の中心メンバーとしてのご活躍につながっています。

以下、講演後に行われた座談会の様子をお伝えします。原稿では、意を尽くすため、当日の発言に加筆訂正していることをお断りします。

(塚本昌則)



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はじめに――フィクション論の現在──ジャン=マリー・シェフェール『なぜフィクションか?』をめぐって
① 小説論ではないフィクション論
② フィクションと事実の区別
③ フィクションと現実の境界をずらす
④ フィクションと夢