第3回 無意識と文学:はじめに

目次
はじめに――ラカンとメルロ=ポンティ
① ラカンvsメルロ=ポンティ?
② 哲学者と画家
③ 想像的なものの現実性
④ 無意識の表象システム
⑤ 現実とフィクションとの境界
⑥ 哲学と文学、精神分析と文学
⑦ 垂直的な過去
⑧ まなざしと声




はじめに――ラカンとメルロ=ポンティ

「文学としての人文知」第3回の研究会は、精神分析学者・立木康介先生、フランス現代哲学の研究者・廣瀬浩司先生をお招きし、それぞれ「まなざしのトポロジー──ラカン、メルロ=ポンティ、デュラス」(発表者:立木康介)、「メルロ=ポンティと文学──垂直的世界の炸裂」(発表者:廣瀬浩司)と題して、2019年12月7日(金)東京大学文学部で開催されました。

立木康介先生は、ラカンに関する専門研究だけでなく、精神分析の歴史と現状について幅広い視点から積極的に発言されています。編著『精神分析の名著──フロイトから土居健郎まで』(中公新書、2012年)では、フロイト、ラカンの基本書の重要な論点を知ることができるだけでなく、クライン、ビオン、ウィニコット、カーンバーグ、ラプランシュなど、盛んに言及されながら、精神分析を専門としない人間には著書を読むことが覚束ない分析家について、詳しい解説を読むことができます。また、『思想』2013年4月号で『「無意識」の生成とゆくえ』と題する特集が組まれたとき、「啓蒙」と「ロマン主義」の側から無意識概念の形成をみてゆく座談会と、20世紀における無意識概念の展開を再検討する座談会という二つの討論会で、立木先生は全体を俯瞰する立場から議論を導いています。その多彩な活躍ぶりは文学でも発揮されていて、『狂気の愛、狂女への愛、狂気のなかの愛──愛と享楽について』(水声社、2016年)では、宮廷風恋愛、サド、ブルトン、デュラス等を扱いながら、ラカンの愛に関する洞察を検証しています。さらに、『露出せよ、と現代文明は言う──「心の闇」の喪失と精神分析』(河出書房新社、2013年)では、サカキバラ事件、「ゴミ屋敷」問題、少子化対策、クローン人間、特殊な技術で加工された死体を展示するフォン・ハーゲンスの展覧会など、時事問題を縦横に論じながら、「無意識」の現在を考察しています。すでに100年以上の歴史があり、ある特定の時期、特定の学者の言葉だけを捉えるだけでは掴みがたいものとなっている「無意識」という概念が、現在、思想史においてどのように位置づけられるのか、そしてわれわれが生きている日常においてどのような意味をもつのかを、立木さんはさまざまな角度から分析なさっているのです。

廣瀬浩司先生は、メルロ=ポンティの哲学のなかでも、とりわけ「制度化」という考え方に着目、コレージュ・ド・フランスにおける「制度化講義」(1954-1955)が、2003年に出版される以前から、このフランス哲学者の読み直しをおこなってきました。特に『見えるものと見えないもの』で展開される「肉」、「反転可能性」という概念が、右手と左手、触れるものと触れられるもの、能動性と受動性の反転というきわめて限定された例によってしか詳述されず、十分に展開されないままになっている点を問題とし、この概念を作り直すことでメルロ=ポンティ哲学のもつ根源的な新しさを打ちだそうとしています。
その考察は現象学の専門研究にとどまらず、フーコー、ドゥルーズ、デリダというフランス現代思想家たちをメルロ=ポンティを通して再検討する仕事につながっています。権力を、抑圧するものではなく、生産を促す肯定的な力として捉えなおそうとした後期フーコーを、メルロ=ポンティの制度論、身体論から読み直そうとする試み(『後期フーコー──権力から主体へ』(青土社、2011年)、メルロ=ポンティの「肉」との比較で、ラカンの鏡像段階、ドゥルーズ=ガタリの「器官なき身体」を再検討する試み(「鏡像のメタモルフォーズと纏う身体の行為論──メルロ=ポンティ、ラカン、ドゥルーズの絵画論の射程」、『纏う──表層の戯れの彼方に』共編著、水声社、2007年)等の重要な成果があります。最近では、「自分の肉体の中の井戸の水を一度飲んでみたらどうだろうか、自分のからだにはしご段をかけておりていってみたらどうだろうか」と語る土方巽の舞踏の分析も行っていて、『知覚の現象学』の哲学者の視点が、身体論、芸術論において深い射程を持っていることを明らかにしつつあります。

このお二人が無意識と文学について論じる切り口が、それぞれのご研究の膨大な蓄積の上に成り立った、きわめてユニークなものであることは、当日のお二人の講演だけでなく、座談会においても遺憾なく発揮されました。ここでは講演後に行われた座談会の記録を通して、文学と人文科学がどのように分離され、同時に接合されるのかを探るこの研究会で、「無意識」がどのように論じられたのかをご報告いたします。原稿では、意を尽くすため、当日の発言に加筆訂正していることをお断りします。

* なお「文学としての人文知」第4回として、森元庸介氏(東京大学)、松井裕美氏(神戸大学)をお招きし、「イメージの歴史と文学」と題する研究会を早稲田大学文学部で開催する予定ですが、現在の状況下、開催の目処が立っていません。この点につきましては、詳細が決まり次第お知らせ致します。

(塚本昌則)




目次
はじめに――ラカンとメルロ=ポンティ
① ラカンvsメルロ=ポンティ?
② 哲学者と画家
③ 想像的なものの現実性
④ 無意識の表象システム
⑤ 現実とフィクションとの境界
⑥ 哲学と文学、精神分析と文学
⑦ 垂直的な過去
⑧ まなざしと声