第4回 イメージの歴史:はじめに

目次
はじめに――イメージの歴史
① アナロジーと「現実」
② イメージを可動的なものと考える
③ イメージと世界の共有
④ イコノファジー――イメージを所有する




はじめに――イメージの歴史

「文学としての人文知」第4回の研究会は、美術史の松井裕美先生、イメージ論の森元庸介先生をお招きし、2020年10月17日(土)、早稲田大学文学部フランス文学研究室の主催でオンライン開催されました。お二人の発表タイトルは以下のとおりです。

  松井裕美「アナロジーの横溢:カジャ・シルヴァーマンの写真論を手がかりに」
  森元庸介「偶像、この絶望的なもの:ウニカ・チュルン、カトリーヌ・ビネ」

松井裕美先生は、キュビスムの抽象的に見える画法が、いかに深く現実を表象しようとするものであるのかを明らかにしています。『キュビスム芸術史──20世紀西洋美術と新しい〈現実〉』(名古屋大学出版会、2019年)では、ピカソが幾何学的表現に取り組む過程で、美術解剖学や人体比率のダイヤグラムを使用していることに着目、キュビスムの目指したものが世界に対して閉ざされた自律的な美の実現ではなく、あくまでも近代における人間の生活の見直しだったと松井先生は強調しています。キュビスム芸術は、先行する幾何学的な図式があり、現実をその図式に従って構築する芸術なのではなく、人体という複雑な構造を備えた三次元の対象を、二次元的な空間に描出しようとした、現実を深く捉えなおす試みであったというのです。では、その結果あらわれる表象が、古典的な人体表象とどうしてこれほど異なっているのでしょうか。それはキュビスム芸術が、それまでの考え方では未完成とみなされていた状態を完成作とし、さらに美術解剖学の提供する知識を、皮膚の表面を模しただけではない、独自の身体イメージを創りだすために用いたためだ、と松井先生は分析しています。この視点には、前衛芸術を自然の模倣という古典主義の延長上に位置づけ、その上で前衛に固有の美学を解明するという問題意識がはっきり現れています。前衛と古典主義の錯綜した関係という問題意識は、『古典主義再考 I:西洋美術史における「古典」の創出;II:前衛芸術と「古典」』(中央公論美術出版、2021年)という浩瀚な論集の共編著という仕事につながっています。

森元庸介先生は、社会における芸術の存在意義を、独自の角度から追求しています。フランスで刊行したLa légalité de l’art — La question du théâtre au miroire de la casuistique (Cerf, 2020)(仮訳「芸術の合法性──決疑論の鏡にうつる劇場の問題」)では、「決疑論」という特殊な問題を扱いながら、人間社会にとって演劇が何を意味しているのかを論じています。決疑論とは、倫理上・宗教上の規範と、実際にとるべき行為とが相反するとき、罪にならない行為の原則を立て、信仰への疑念を晴らす弁論の形態です。17世紀、フランス社会では、演劇は信心とは相容れないものとして断罪されましたが、それがいかに敬神の態度と共存しえるのかという問題について交わされる議論を、森元先生は驚くべき博学を発揮しながら解明しました。一見、遠い社会の事柄に思われるこの議論は、例えば検閲されるべきものと社会に判断されている表象、口にすれば倫理上の疑いをかけられる言葉が現代にも存在する以上、われわれの社会とも無縁ではありません。そもそも芸術は良いものなのか、自然な人間的心情の発露なのか。もし、芸術がそのようなものと思われ、受容されているとしたら、その信条の社会的基盤はいったい何なのか──こうした表象の根底にあるものに切りこむ議論を、森元先生は展開しています。ピエール・ルジャンドル『ドグマ人類学創設──西洋のドグマ的諸問題』(共訳、平凡社、2003年);『ルジャンドルとの対話』(みすず書房、2010年);『西洋をエンジン・テストする──キリスト教的制度空間とその分裂、2012年』、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ──包まれて落ちたものについて』(平凡社、2013年)、ジャン=ピエール・デュピュイ『経済の未来──世界をその幻惑から解くために』(以文社、2013年);『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目か』(共訳、以文社、2014年)等、翻訳書も多数出版しています。

最後に、お二人には、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『受苦の時間の再モンタージュ』(ありな書房、2017年)という共訳書があることを付言します。現代社会において、いったい何が芸術とみなされているのか、芸術の条件とは何なのかという問題を考察するとき、美術史と表象芸術論という二つの学問は交錯します。文学がその交錯の網の目にどのように関わってゆくのか、当日のお二人の講演だけでなく、座談会においても考えさせられました。ここでは研究会の最後に行われた座談会の様子をご報告いたします。原稿では、意を尽くすため、当日の発言に加筆訂正していることをお断りします

なお、お二人が講演で取りあげている本のレフェランスは次の通りです。座談会ではしばしばこの二冊の本が言及されています。

— Kaja Silverman, The Miracle of Analogy or The History of Potography, Part 1, Stanford University Press, 2015
— ウニカ・チュルン「暗い春」、『ジャスミンおとこ──分裂病女性の体験の記録』所収、西丸四方訳、みすず書房、1975年、p.237-276



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はじめに――イメージの歴史
① アナロジーと「現実」
② イメージを可動的なものと考える
③ イメージと世界の共有
④ イコノファジー――イメージを所有する